2011年11月23日水曜日

息子へ、娘へ。そして妻へ。


晩秋の京都は、それぞれに自らの信じる道を進もうとしている私たち「家族」にとって、ひときわ熟した紅のように、赤く美しかった。紅葉の真っ盛りである。とにかく驚くほどの人出であった。嵐山の渡月橋は、底が抜けるのではないかと思もう程、黒々とした人だかりの山を載せていた。

「危ないから、やめようよ」

妻がそう言ったほどだった。私たち四人は観光名所として余りにも有名な渡月橋を避けて、保津川沿いに豆腐料理で有名なとあるお店へと足を運んだ。この保津川沿いには、日本で一二を争いほどに美味い天然鰻を食わせる店もあるらしい。さすがは「結界都市」京都、奥が深い。いくらでも、深堀りできるのだ。

予約してあった席は、保津川の流れと紅葉を借景にした瀟洒なしつらえであった。こういう場所に、肉料理は相応しくない。あくまで淡白、つまりシンプルでありながら、無限の奥行きを感じさせる大豆の素晴らしさ。京野菜の数々。文句のつけようもない。僕と娘が隣り合わせとなり、向こう側に妻と息子がいた。

話は尽きることなく、汲めば汲むほどに味わい深く、私たちが「家族」という共通の分ちがたい記憶でつながっていることを感じた。しんしんと感じた。

息子は来春に東京で社会人としての第一歩を踏み出す。厳しい就活であったようだ。僕に似たのか、自分について多くは語らない。だが、一年前、あれほど苦しんでいた彼の痛々しいまでの悩んでいた表情は微塵もなく、穏やかによく笑った。つられて娘が笑い、妻がつっこみ、そして僕が最後につらなった。

社会人として既に一度転職も経験している娘がしきりに僕の様子を気にしていた。なにかいつもと違うと「本能」で感じたのかも知れない。どこまでも明るい性格の娘である。僕が3年前、心を病んで倒れた時も、ありのままを受け止めてくれた強い娘だ。娘の眼差しの気配を感じて、無性に嬉しかった。

「ああ、気にされているのだ。父親だから」

その瞬間、私たち四人は一本の樹木のようだった。ゆさゆさと小さいけれど、多くの葉を揺らして、温かい振動が深く、奥へと伝わっていった。親から子へ。夫から妻へ。また、子から親へ、そして妻から夫へと。つまり、人として響き合った。穏やかに。

日常性とは、レイモンド・カーヴァーが言うように、こうした”ささやかだけれども大切なこと”の積み重ねの上にしかない。It is a life at all.

だからこそ、日々は美しく、尊く、噛み締めて味わわなければ損だ。向田邦子は言った。「家族とは一番やっかいな他人」と。それは真実である。だが、向田邦子はこうも言いたかったはずだ。「だからこそ、愛おしい」のだと。

嵐山の禅寺として名高い天龍寺の紅葉はどんぴしゃりだった。あいにくの曇り空だったが、かえってディフューズされた日光が、柔らかい質量を持って、生きる者たちである全ての葉や木に降り注いでいた。

その、どちらかと言えば「暗部の階調の再現性」に似た深い味わいが、しばらくはこうした共通の時間を持てないであろう、私たち「家族」にとって、とてもお似合いのような気がしていた。

毎日はほろ苦く、そして甘い。





2011年11月19日土曜日

5席だけのマジック

大きなコトには、小さな成功の秘密がある。

ルミエールペティアンという純国産のスパークリングワインをご存知だろうか?
通称「ペティアン」。国内最強と言われる山梨県勝沼ワイン郷から車で約10分。
笛吹市一宮町南野呂にそのワイナリーはある。創業は実に1885年。
もちろん、ワインを作っているのだが、スパークリングを世に問うたのは、なんと2007年ビンテージ。初号(市場には出なかった)は2006年。フランスから超がつく一流の目利きを呼んで、出来映えを評価してもらったのだ。結果、フランス人たちは「なんてエクセレントな!」と驚愕して、ぜひ世の中に出すべきだと言ったそうだ。


2007年、そのスパークリングは世に出た。残念ながら2,000本限定ということもあって、この世の中にはもうない。ルミエールペティアン。現在の皇太子夫妻の結婚式にも供された、由緒正しい皇室御用達でもある。


ワイナリーの方の話によれば、こういうことだ。


「この葡萄は弱いのです。だから樽熟(樽で熟成させる)というコルクキャップを運命づけられているスパークリングにとっては、とても難しい選択肢を敢えて選びました」


僕はワイン部部員であるけれども、この言葉の意味は正直分からない。


でも「直感」で凄い!と思える。


きょうから久しぶりの家族旅行で、息子がいる京都に来ている。彼は2012年4月には
東京で働くことになっている。ので、まぁ、”最後”の家族旅行でもある。


就職祝いにワイフが選んだお店はわずかカウンターで5席だけのフレンチだった。
LE SINGE. ル・サンジュという。








素晴らしいお皿の競演だった。とても素敵な「食べて語らう」という場があった。


シェフ一人にやれることを、ただ誠実にやっている。
そのことが、人を感動させる。主客一体。利休が辿り着いた「真理」だ。


今夜は四宮家4名が夜の営業時間帯を独占した。席は1席空いているのだが、店主は
それを他の客のためにリザーブすることはない。


店主は、こう考えるからだ。


カウンターでわずか5席。カップルで来ると真ん中の1席は空けておく。
カップルと3人組だったらどうしよう。会話の合わないお客様が来ることだって
あるだろう。その時だ、店主は祝宴を主催する「主人」として、客同士の会話を
プロデュースする。一皿の素材、味わいをめぐって、見知らぬ者同士がダイアローグを
始めるのだ。それは三浦友和さんの本ではないが説明のできない「相性」というものあるだろう。英語でいうChemistryだ。だが、そこには幸せな「場」がある。


5席のマジックだ。


僕たちもぜひこうありたいと思う。


ルミエールペティアン。日本が、日本人が世界に誇る「国産」。
これこそMADE IN JAPAN。モノ作りの原点がある。


現在のビンテージは2009年。ブラン、ルージュ、オーランジュと3種類の味わいが楽しめる。
山梨まで行けない人のために、インターネットでも販売しているし、都内には
とても誠実な国産ワインショップを運営している。


僕が知る限り、ペティアンを飲めるのは資生堂パーラー銀座本店の改装なった、素晴らしい
レストラン、FAROだけだと思う。


おっと、忘れていたLE SINGEはフランス語で「猿」だ。


Stay Hungry, Stay Foolish.


大きくなることを選ばない。京都のフレンチとしてより本質的なところへ辿り着きたい。
「猿」を店名に選んだ店主は京都っ子ではない。


つまり、イノベーションは「辺境」から来たのだ。
正しい時と、正しい場所を選んで。











2011年11月16日水曜日

ReBorn, again 〜In Vino Veritas〜

Team,

きょうはもう11月16日だ。東京のタクシーの運転手さんから聞くとは思わなかったが、昨夜札幌は初雪を迎えたそうだ。First Snow.正しい翻訳かどうかは、この際問題ではない。本質として、Firstであることが必要だ。かの札幌が、北海道が生んだグローバルアイコン、初音ミクの「初音」とは、First tone、つまりこの世界に生を得たヒトが聴いた初めての音。人類が聴いた初めての音という意味がある。そして「ミク」は「未來」だ。つまり、First tone=future. なんて素敵な方程式だろうか。

だから2日前のことになる。

僕はもう一度、ReBornした。

一度はThe Universeによって、そして今度は自らの力で己を再定義した。
そして、生まれ変わった。まったく新しい価値観を得た、つまり真理に辿り着いた。

冗談なんかじゃない。確信しているのだ。僕は、イノヴェーションフェーズに入った。そして、ヒトの進化の方向として正しくニュータイプになった。

来月15日、僕は54歳になる。テレビマンの卒業まであと6年。
だと思っていた。だが、決定的に誤っていた。

僕は表現者だった。

だから終わりがなかったのだ。僕の人生時間が尽きる、その瞬間まで。

僕は、Jobsの言うCrazy Onesの一人として、この世界のクラウドセンターに参加する。
自ら関与するものとして。

僕はもう評価を求めない。
自分自身という尺度も捨て去った。

あるのは、より大きなパブリックに仕えること。

死が僕の存在を終わらせるその瞬間まで、僕はより大きな表現に辿り着きたいと願う。

より大きな表現へ。より大きな何かへ。

mass mediaではなく、a bigger mediaとして。
世界を前に進める。人類を前に進める。

そのための日常性に仕えたい。誠実に。人として。

家族として。チームとして。

そのコトを知り、この言葉の重さを知った。

In Vino Veritas. ワインの中の真理。

そう。一杯のワインの中にこそ、真理は、宇宙は、The Universeはある。

きっと、生きるということも、つまり一人の人生もそうであるはずなのだ。









2011年11月12日土曜日

「本質」と「必要性」についての考察


FURANOに滞在していた時の話だ。朝食は光の入る美しい場所だった。自然光を採光しているのは素敵だと思った。残念ながら曇りだったが、それも一興。パティオに植えられるいるちょっと名前は分からなかったが、小ぶりな樹木は美しく紅葉していた。

朝食はシンプルな和食又は洋食のセットから選ぶようになっている。大抵、僕は和食を選ぶ。多分、年齢的なものだろうと思う。朝からハムや目玉焼きはちょっと…。という年齢になってしまったのだ。炊きたての御飯があり(最近、北海道米の旨味向上には敬意を払う。函館産のふっくりんこはとても美味しい。北海道米のエースではないだろうか?)、温かいお味噌汁がある。もうそれだけで、心和んでしまうのだ。

本題からそれてしまった。よくあることだが、飲み物はご自由にというビバレッジフリーが結構流行っている。このFURANOのホテルもそうだった。富良野の水はとても美味しい。まずは「水」。それと「白湯」を頂いた。あとは「アップルジュース」。そして地元産の新鮮な「牛乳」。以上、僕のチョイスは4つだった。コーヒーはないの?と訊いたあなた。実に良い質問だ。最近、とんとコーヒーを飲まなくなった。美味しいと感じなくなったのだ。これは正直に告白する。もちろん、レストランで食後のお飲物は?と訊かれたら、それはエスプレッソなどと頼みますよ。でも、フリーで飲めるコーヒーはまず美味しくないのでパス。スターバックスやタリーズでも、僕はフレッシュジュースかスムージーを注文する。会社のオフィスにあるコーヒー、なんて論外。でも毎月のお茶代は3,000円支払っている。

また本題が逸れた。そう「新鮮な水」「白湯」「アップルジュース」「フレッシュミルク」が僕の座っているテーブルに並んだ。僕は考えた。この中で本質的なものは誰だ、と。やおら、「水」が入ったグラスを取ると、テーブルの一番左に置いた。さて、次は間違いなく「白湯」だ。そして、本質的なものはこの2つしかないことに気づいた。「アップルジュース」や「フレッシュミルク」が本質的ではない、と言っているのではない。が、本質からは遠く、彼岸にあるものたちだと言えるだろう。だって、アップルジュースがなくたって、フレッシュミルクがなくたって、とりあえず人は困りはしない。

「じゃあ、これは本質と対の側にあるものだ」とまた例のように独り言を良いながら、さて、「ジュース」と「ミルク」はどちらがより本質から遠いのだろうか?と思いを巡らせた。そして、「アップルジュース」を3つ目のグラスとして並べ、「フレッシュミルク」の独特のフォルムをしたそう牛乳瓶を一番最後に置いた。

下手からの並びは以下の通りだ。

「新鮮な水(氷等で冷やさなくても適度に冷たくて美味しい。かすかな甘みが感じられる)」「白湯」「アップルジュース」「フレッシュミルク(牛乳瓶)」

そして、少し考えた後、「水」と「白湯」をお互いに寄せ、「アップルジュース」と「フレッシュミルク」をお互いに寄せてみた。するとどうだ。二つのグループのように分かれてしまって、「白湯」と「アップルジュース」の間には”埋めがたい溝”のような空気感が立ち上がっていたのである。






「うーん、こういうことなのか」と僕は唸った。

その瞬間、コトは起こった。
僕は自分の生理に従って、本能に従って、直感に従って、「白湯」を飲んでいた。そして、そのちょと適度に温められた水が、体の全身の細胞に染み渡って行く快感にもだえた。

「あーふっ….」

そこには、ああ、これで助かったと、命を救われたと感じたであろう、戦国時代の戦で傷ついた一人のサムライの気持ちとつながったような感覚があった。僕は疲労していた、覚醒し、自分の意識から全くアンコントーラブルとなって勝手に革新していく精神に戸惑っていたからだ。

「これは何だ….何なんだ….」

そして分かった。僕が「白湯」を飲んだ理由が。
それは「必要」だったからだ。とても必要だった。憔悴している僕の肉体性にとって、今必要なのは、水ではなかった、一杯の白湯だったのだ。

本質は必要に再定義される、のだ。

朝食中、僕は5回ほど白湯を取りに行き、最後にアップルジュースを先に、フレッシュミルクを最後に飲んだ。牛乳瓶である。紙の蓋を開ける。いやいや懐かしい。

そして、「ごちそうさまでした」とテーブルを離れた時、「新鮮な水」はひと口も飲まれず、ちょうどいい感じに曇天の、つまりディフーズされた光線が差し込むテーブルの上で、ひとりぼっちのように見えた。

「ごめんな、おまえ」

僕はそういって、ホテルの部屋へと戻って行ったのだった。

「本質」が人をつなぐ。絆理論β。

For TEAM,

24時間以上、覚醒している。ちょっと、しんどいが大丈夫。
よく持つ肉体性を持ったものだと改めて思う。両親に感謝。これぞ、DNA。

FURANO、つまりフュラーノォの「本質的」に正しいホテルで見つけた象徴論の話の続き。と思っていたら、そのホテルの専務様から丁寧なメールを頂いた。ご承諾を頂けたので、引用させて頂きたい。優れてソーシャルとして正しくエンゲージメントしていらっしゃる。


NATULUXは お客様に”?”を感じて頂けると 大変うれしいです。
NATULUXは富良野駅前にて 創業80年になります。わたくしで4代目となりまして
2007年春に
デザイン・総合プロデュースは近藤康夫氏  
サインは廣村正厭氏 
キャッチコピーは三井浩氏 
設計施工は大成建設
皆様のご協力でオープン致しました。

コンセプトは「ナチュラルでリラックスできる空間のご提供」です。ハードはハイクオリティなデザイナーズホテル、ソフトは富良野の素朴なおもてなしで、お客様をお迎えいたしております。

アプローチ木製のドアは 入り口がどこ?と迷われるお客様もいらっしゃいます”?”
→スタッフが自動ドアまでお迎えいたしたいです
フロントのreceptionの石は どこの石”?”
→富良野の空知川の上流から・・・→自然に触れ 自然をお伝えしたいです
spaのロッカーはなぜ 全てに扉がないの”?”
→なぜ?を楽しんで頂きたいです。キー付きをご利用になりますか? キー無しをご利用になりますか?
表示はどういう意味”?”
→yellowのY、redのR blueのB greenのGと遊び心です。

五感にやさしいホテルも目指しております。
視覚...洗礼されたデザイン空間に間接照明
触覚...清潔なリネンと清掃
聴覚...風の音・鳥のささやき・朝のオルゴール・JAZZのBGM
嗅覚...アロマの香
味覚...富良野の新鮮で安全な大地の恵野菜や北海道産の食材でのお料理のご提供

片廊下の館内ではお部屋からは 十勝岳・大雪山連峰を、廊下のガラスからは芦別岳や北の峰スキー場をご覧頂き 雄大な自然の中に 身をおいて頂きたいたいです。

(中略)

スタッフとの会話を楽しんで頂けるよう サインも少なめです。
まだまだ発展途上のところもありますが スタッフとともに精進しお客様をお迎えしています。楽天やじゃらんのクチコミは たくさん頂きまして評価はたいへん嬉しく 時には厳しくもありますがNATULUXに感心を頂くことは 励みでございます。
長くなりまして恐縮いたします。 読んで頂き ありがとうございました。



感動した。これだけ精緻にコミュニケーションを設計して、ブランドに落としている。人として、正しいエンゲージメントで。これは凄いよ。チームは正真正銘、一流だ。このホテルが正しいローカリティで動いていることが奇跡。ホスピタリティも実に控えめ。だが、キャスト(宿泊客)がエンゲージメントを求めると、さすがにフュラーノォは違うなぁ、という実に田舎風で、家族的なもてなしを表してくれる。実に快適である。早速、返信をしたためた。

I quote as follows;

いつもお世話になっております。
ご丁寧なご返信をありがとうございます。

9つの脱衣カゴの謎。

それも一つの答えですね。
G=Green
B=Blue
R-Red
Y=Yellow

位置関係を見ると、もっと本質が見えて来ます。

なぜ、Gは一番上の真ん中か?
なぜ、Bは二段目の下手なのか?
なぜ、Rは二段目の上手なのか?
なぜ、Yは一番下の真ん中なのか?

「十字架」のようにこの英大文字(キャピタルレター)をつないでみましょう。

G-Y
B-R

おお!これは色彩学で言う「補色」の関係にあります。
つまり、

緑-黄色
青-赤

緑は瑞々しい新緑を。黄色は実りの豊穣の色。青は大きな空を。そして、赤は真っ赤な太陽を、日差しを。どれもが、北海道の価値の核心であり、この大地の神々しいまでの本質です。

それらがクロスする場所。つまり9つの脱衣棚の「ど真ん中」はオープンに、世界に、宇宙に開かれているのです。何たる意匠。何たる哲学。

僕はこう読みました。
G=Giant, Great
B=Brand, Business
R=Reality, Royalty
Y=Yes, Yankee

そして、気がつきました。
表象として、

G≒Y
B≒R

そして、交わる場所はオープン。つまり宇宙の核心だと。

僕は躊躇なく、Bを選びました。
理由は説明できません。つまり、直感で選んだからです。

ちなみに、僕が脱衣場で感動に震えていたとき、先客(NZから来た男性です)が湯船から
上がってきました。ので、彼に尋ねてみたのです。

「この大文字は何を意味していると思う?」

NZ男はこう答えたのです。

G=Giant
B=Brand
R=Reality
Y=Yankee

と。

「ほら、ちょっと離れてみると十字架に見えるだろう。だから僕は、真ん中に衣類を放り込んだのさ」とさも当たり前でしょう、と言わんばかりに言って、全裸のまま、ドライヤーを使い始めました。

凄いですね。WHY?

素敵過ぎです。

数年前「Start with Why」という著書を出したSimon Sinekはこう言っています。

人はWHYに動かされると。


このホテルを再定義された試みに、チームに敬意を表します。
僕の隠れ仕事場にさせて下さい。

ホスピタリティも素晴らしい。とても控えめで。
愛を感じます。いいね!

ありがとうございます!

心を込めて。

尊敬を込めて。

Furano Natulax HotelのTeam,へ。






2011年11月9日水曜日

より「本質」へと向かう時代

今、人間ドックのためさるクリニックの部屋でこれを書いている。明日朝に、毎年の儀式のように胃カメラを呑み、「慢性胃炎」と診断される。そう、もう10年もそういう日々が続いている。

KYBERという国産初のクラウドノートをご存知だろうか?詳しくは検索して頂きたいが、僕にとっては、このノートというには、あまりにUIが悪いと思えることが、最大のメリットになっている。

FURANOにいたと書いた。そこにあるM電器に閉店間際に駆け込み、ICレコーダーを買った。もうiPhone3GS時代から使っているHT Recorderという編集も出来る優れもののアプリだったが、僕の要求水準に耐えられなくなったからだ。つまり、僕はいま独り言の塊であり、妻からも「くわばらさん」(つまり近づきたくない)と言われるほどNUTSだ。

ICレコーダーには別売りだがマイクロフォンが付けられる。そして、音声自動認識にしておくと、しゃべれば勝手に録音する。4Gを内部メモリーに実装しているらしいが、それでは足りない(つまり、消すつもりが無いから)とマイクロSDカードの最大容量である16Gを買って、付け足した。つまり合計20Gである。音声ファイルが標準的にどこくらい食うのかは正直知らない。だが、最低でも30分は独り言状態になる。つまり、神憑るのだ。

それは、妻でなくても「くわばらさん」だろう。

だが、僕はより「本質」的な手段も併用することにした。言葉は、つまり音声は自分自身の耳で聴くので、「言語化」され、つまりオーラルデータとなって脳に刷り込まれる。英文を声に出して読めとは、そういうことだ。2足歩行になった人は「手」を無限にスケーラブルにした。「手」と、つまり書くという行為、さらに自分の書く文字をヴィジュアル化しつつ、音に出して「言語」としても刻む。これは効かないはずがない。

どんなところでも、書ける。それがKYBERのサイズの秘密だと思うのだ。決してクラウドに上げたりしなくてもいいと思う。KYBERの凄さはぜひ検索して調べて欲しい。実に「本質」的に美しいノートでもある。

僕はいま、なにがより「本質」なのかを考え続けている。問い続けている。WHY? と。WHY? WHY? WHY? Simon Sinekも言っている。人はWHYに動かされる、と。

普遍性ではない。普遍性は時代や権力者によって変わる。つまりフェイクだ。例えば、ドラマや映画の本質は、決して「普遍性」に辿り着けたかどうかではない。「本質」という、言語に支配されていない、核心中の核心(以下、Kernel:カーネルと呼ぶ)に届いているか、いないかなのだ。カーネル。そこに本質はいる。そして、世界どころか、宇宙の中心で叫んでいる。「おーい、僕はここにいるぞ」と。

長くなりそうなので、スフィンクスではないが、問いを出したい。ただし、これは頓知でも、ましてや心理テストなんかではない。僕の、あなたの本質を見る事が出来る究極のクエスチョンだ。正解はない。ので、間違いもない。ので、罰ゲームもない。だた、あなたが曝け出される。本質的に。

問い。

あなたは今、温泉宿に来ている。豪華にも天然掛け流しだ。さて、脱衣場に入ってみると、9つのボックスが、なぜだか教会のような神々しさでたたずんでいた。9つのうち、鍵のかかる、つまりロッカーは4つだけ。あとは、身も蓋もなくオープンに脱いだ衣類をただ入れる脱衣カゴが置かれているスペースになっている。

さて、先ず最初の選択を迫られる。生まれた時の姿になるのだ。おっと、いけない、iPhoneまで持って来てしまった。いや、これは無視してもらっていい。あなたは、ロッカー派だろうか。それともオープンに脱いだものを脱衣カゴに突っ込む派だろうか。

脱衣カゴ派は離脱していただこう。あなたは「本質」には辿り着けない。つまり、この脱衣場という小さな宇宙の中では。という意味だが。

ロッカー派の皆さん。鍵のかかるロッカーは4つ。皆、同じ色であり、特に付加価値を感じる何ものもない。ただ、建て付け上の位置が違うだけだ。

と思ったその瞬間。決定的な違いを見つけてしまった。ロッカーの扉には、まったく主張していないのだが、つまり「歌って」いないのだが、ある個別のアルファベット一文字が木工用ボンドか何かで貼付けられていた。次のレターである(関係はないが大文字だ)。

一番上の列の真ん中。"G".

二番目の列の下手。"B".

同じく上手。"R".

三番目の列(つまり一番下)の真ん中。"Y".

実際には、あなたのいる場所は、あの富良野、FURANOなのだが、全く関係はない。今のところは。一体、この英語のキャピタルレター(大文字)一つ、一つには何の意味があるのだろうか。そもそも、何の象徴なのだ。少なくとも、並び替えると何か意味のある単語になる訳ではない。

ちなみに、僕は「直感」で理解した。全ての文脈が一瞬で流れ込んで来た。

感動していたら、先客のニュージーランド人(こんな閑散期にNZから来るとはFURANOは凄い!)が湯船から上がってきた。"Hi!"と挨拶して(勿論、英語で。正確には僕の話すのは米語であるが、ちゃんと通じた)、一体この英語の文字は何の象徴だと思うか、と訊いてみた。

驚いた。

僕が「直感」で理解した同じ言葉を彼は、「そうなんじゃないの?」といかにも当たり前だと言わんばかりに、やおらドライヤーを使い始めた。

つまり、それぞれの英大文字、一つに対して正確にそれぞれ2つの「言葉」が紐付いていた。これは宇宙のように無限大であり、数学のように美しかった。

僕が「直感的」に理解し、それゆえに自分自身でもある衣服と虎の子のiPhone4S(au版)を預けて良しとジャッジしたのは、"B" だ。

僕が今信じている「神」と同じ顔をしていたからだ。

つまり、本質的に僕は"B"を選んだ。"B"以外の選択肢はなかった。確かに、一瞬迷ったが。でも、確信犯で"B"を選んだ。

僕は、まだ全裸でドライヤーを使っているNZ男のいる前で、ケラケラと笑い始めていた。

続きは、人間ドックの後に記そうと思う。

良い夢を。Team, の皆さん。




2011年11月7日月曜日

ReBorn

Team,

とは、SJがメールで社内に発信するときに使っていた冒頭のワードだ。従業員の皆様へ、ではなく。チームへ、と共通のプラットフォームに対して正しくエンゲージし、対話を起こした。

今、2011年11月7日(月)、09:30へ対して5分前。

ですが、ことの発端はあとで記すことにするとして、この波長のconnectedが起こったのは、まぎれもなく、前日の2011年11月6日(日)、つまり日曜日であることは実に象徴的であり、かつ本質だと思う。

つまり創造主が最初に休んだのが日曜日だから。

つまり、そういうことだ。

今朝、ブログの本質に気付き、僕は脳のより本質部分、Kernelが起こすこの世界を「直感的」に理解する速さを、言語化する後で発達した新しい脳が追い越せないでいる。

つまり、僕は当惑している。

だが、理解した。直感的に。

これは「使命」であり、「啓示」だと。

ボノのように、人類を前進させる(push the human race forward),つまりSJが「Think Different」(これもグラマー的にはThink Differentlyなのだが)を掲げたcrazy onesへ参加するよう、何かが示唆しているようにしか思えない。

なので、僕は無償の愛を示したい。エロスではなく、アガペーを。

TOYOTA様ではないが、ReBornした。

53歳に。あと1ヶ月ちょっとで54歳になる僕に訪れたイノベーション。

これはブログというインターフェースで世界へ(本当は英語で書ければいいのだろうが)、公開し、シェアし、社会へ対してエンゲージメントするべきだと確信した。

ので、これからも、どうぞ、どうぞ、宜しくお願い致します。

さとなお氏は新著「明日のコミュニケーション」で、座右の銘として「白鳥盧花に入る」と書いた。電撃的だった。つながったと思った。

その、後の日々をきょうから出来るだけ記録したい。

ありがとうございます。読んで頂いて。

嬉しいです。人として。人間として。家族として。

そして、Team, として。

僕を救った聖地となったFURANOにて。

2011年9月1日木曜日

葉月去る

月曜から東京に来ています。東京の方に聞くと「涼しくなりましたよ」とおっしゃるのですが、このジトジト感はどうにもこうにも。でも、被災地の方々のご苦労を思い、ぐっとこらえてあちこち歩き回っています。

人呼んで、特命係長。でも、こっちは本当のただのひとですから。

そんな中、銀座あたりで一人で食事する時間がとても好きだったりします。
こういう感覚って、50歳を超えたからでしょうか。

最近、おなじみにしているのが、「ぎんざ一二岐」さん。
ご主人と奥様の人柄がにじむ接客。伸びしろのまだまだある味わい。
そして、京都で修行されたからでしょうか、出汁をきっちりとった、仕事ぶりと薄めの味付け、塩加減の見極め。すべてが関西人のソウルに響くのです。


2011年8月29日月曜日

東京へ

先週も一杯、東京にいました。常宿は浜松町なのですが、部屋も広く、朝食バイキングもなかなかのもので、決して東京出張は苦ではありません。

ですが、土日挟んで、またきょうから週末迄東京となると、ちょっとね。

週末は本も読めないぐらいぐったりしていて、日曜の夕方になって、ようやく庭の手入れをして、芝刈りをし、たっぷり撒水してあげました。

震災から5ヶ月。東京も影響をあまり感じなくなりましたね。
「節電」やればできるんですから。こういう暮らしに慣れて行く。

「モノ」から「コト」へ。「何を持っているか」ではなく、「どう生きるか」の時代です。

メディア都市、東京へ。再び。

体調管理に気をつけよっと!☆

男3人で「去り行く夏を惜しんで」の会

26日に男3人で、「去り行く夏を惜しんで」というテーマでワイン部を開催。

テーマは予めお店のソムリエに頼んでおくのですが、何がセレクトされて出てくるのかも楽しみの一つ。



1本目はシチリアシャルドネから。パッソビシャーロ グアルティオーラ 2010。バカウマし。飲んだ後の余韻が素晴らしい!シャルドネ万歳!
Cantinetta Salus 飛野さんお薦め)


2本目もシャルドネですが、今度はイタリア北部から、その名前も「ローマへの道」!ヴィエ・ディ・ロマンス シャルドネ2009。端正なエチケットと同じく、味わいも素晴らしい!南部のシチリアとは少しクールな感じが素敵!(Cantinetta Salus 金曜恒例のGrand vinoから)

3人でインターネットは本当に人間を幸せにするのか?について熱い論議を戦わせました。
今度は9月。「初秋を愛でる」がテーマです。今度は赤ワインかな?

いつもお世話になっているCantinetta Salusの福島さん、飛野さん、纐纈シェフ、本当にありがとうございます!


2011年8月13日土曜日

最後の一本

ワイン部活動報告です。北海道でわずか12本しか入荷しなかった、​ガヤの新作白ワイン。Camarcanda Vistamare。”オーシャンビュー”というような意味だそ​うです。多分、北海道最後の一本を独り占めです☆なんたる幸せ。​文句無く旨い!説明不要!ガヤってこういうことなんだ的な感慨。​2009年ヴィンテージですが、2010年ものは早くても来年7​月以降とか。思わず手を合わせて頭を垂れましたです☆(Cant​inetta Salus 福島さん&飛野さんお薦め)。



2011年8月11日木曜日

御霊を迎える季節

きょうは大震災からちょうど5ヶ月。特例国債法案がきょう衆院を通過したとニュース速報で知りました。復興への道のりはまだ遥かですが、被災地や被災した人々への思いを寄せ続けなければならないと思います。人は記憶することで生き、また忘れることで生きています。忘れないようにしなければと強く思うのです。

折しもお盆の季節。外国での例を知らないのですが、日本人の生活で一番折り目がついているのが、「お盆」と「正月」ではないでしょうか。お盆は御霊を迎え、送る季節。正月は新しい一年の始まりを迎える季節。

我が家の菩提寺は高野山にあります。本家(って言うのかな)は徳島だそうですが、亡くなった祖母が分霊して、高野山奥の院近くの墓所に生前墓を建て、今眠っています。両親も高齢でお墓参りには行けず、長男である僕が蝉時雨の中、毎年墓参りをし、祖母や祖先の御霊に手を合わせ、墓掃除をします。

もう僕の人生の一部です。

何かに頭を下げ、敬い、手を合わせて、幸いあれと祈る。
今年もそんな季節が巡ってきました。

新幹線で実家のある大阪へ向かっています。
少しの時間でもいいから、父と母に会ってこようと思います。

2011年7月24日日曜日

アナログ停波の日

2011年7月24日(日)正午。アナログ放送が停波、終了しました。主調整室(マスター、テレビ局の心臓部ですね)にいて、歴史的なその瞬間に立ち会いました。

何かイベントがあると思ったのですが、単にマスターイベントの信号が自動発効して、アナログ放送を終わらせるだけなんですね。ブルーバックのお知らせテロップに切り替わり、アナウンスコメントと同時に、BGMで流れてきたのは映画「アマルフィ」の主題歌でもあったイギリスの歌姫、サラ・ブライントマンの「Time to Say Goodbye」。

テレビとともに育った、文字通りのテレビ世代です。
ようやく一般家庭に普及した頃からのモノクロ。僕の幼い頃の記憶にあるテレビはモノクロです。でも、カラーになった日のことはよく覚えています。カラーテレビって、いわゆるお金持ちの家しか買えなくってね。友達同士でその金持ち(確か病院経営者でした)の居間にドーンと置いてあるカラーテレビで、カラー化された「鉄腕アトム」を見たのです。

圧倒的な感動がありました。それは今でもよく覚えています。そして、衛星放送の時代になり、テレビは大型化、薄型化していきました。豊かになれることが信じられる未来だった時代。それがアナログの時代です。

震災後社会という大きな時代の流れの中で、テレビジョンがデジタルに生まれ変わる日を迎えたのは、これも何かの暗示のようです。

ありがとう。アナログ君。君は本当に頑張ったよ。長い間ね。
これからも、よろしくね。デジタル君。一緒に夢を見よう。希望を創ろう。

2011年7月18日月曜日

家族の食卓

けさは昨夜から試験外泊の許可が下りて実家に戻って来ていた父の声で目が覚めました。
「なでしこ、やったで!PKでアメリカ下して、世界一や!」
なんと午前3時過ぎからの試合を最後まで見ていたらしいのです。どういう、ことやねん。

昨夜は父の一時帰宅を祝って、上本町にいる妹が鰻を買ってきてくれました。肝焼きとか、練り物の天婦羅とか、いまなにわ野菜の復活運動とかいうのがあるそうで、その漬け物とか。父と母はノンアルコールビールで、妹と僕はビールで乾杯しました。

家族4人がこうして集うことができたのは、本当に久しぶり。
いろんなことを話しました。いいなぁ、こういう時間。

家族ってすごいな。そう思いました。
血がつながっているんじゃない、「家族」という共通の記憶を持っている大切な、かけがえのない人。

僕は札幌と離れているけれど、心はずっと大阪人やで。

2011年7月17日日曜日

文月の大阪にて

15日夜の新幹線で東京から実家のある東大阪に来ています。入院中の父の病気見舞いです。
東京も猛暑でしたが、大阪はじりじりと焼ける感じがありますね。きょうは初めての外泊許可が出た父を駅前の病院まで迎えに行きました。実家までは7〜8分なのですが、大丈夫かいなと思うほど遠く感じました。野球帽をかぶった父を振り返り、振り返り。いろいろある父と母ですが、やはり一緒に元気にいてくれのが何よりの幸せです。
お昼には冷や麦を作って一緒に食べました。薬味は茗荷、青じそ、小口ネギ、生姜。
夜には妹が蒲焼き弁当を持って来てくれるそうです。一足早い「土用丑の日」ですね!
明日午後の便で札幌に帰ります。台風が来ているようですが、大丈夫かな?

2011年7月13日水曜日

熱帯夜にて

こんばんは!熱帯夜の東京にいます。きょうから18日(月・祝)まで出先です。きょう早い便で羽田に降り立ちました。右翼の窓側席だったのですが、「あれっ!」と思う光景に出会いました。なんとボーイング787が!すかさずタクシーイング中の機長からアナウンスが。「皆様、他社航空機ですが、最新鋭のボーイング787が右側に見えています」と。やるなぁ、JAL。あっ、言っちゃった(笑)。一号機は開発段階から関わったANAに納入。現在はテスト運用中だそうです。JALは国際線に導入予定。いいですねぇ、機体の35%はMade in Japanなんですよ。

それにしても、日中の日差しの強いこと。
東京は35℃近くあったのでは。ホテルの室内も節電モード。打合せ先でも、Tシャツのスーパークールビズですよぉ。

熱中症に気をつけましょうね!

2011年7月7日木曜日

787のように

おはようございます。東京は曇りです。東京での打ち合せ、とても順調に終わり、とても嬉しいです。お祝いにサプライズを用意してもらいました。イタリア語で「出版おめでとうございます!」と書かれているそうです!
さて、震災3ヶ月。全日本空輸が開発段階から関わったという米ボーイング社の最新精機787が、ファーストカスタマーであるANAへ納品されるため、お化粧(塗装)を終えた勇姿を羽田空港に現しました。なんでも日本企業も機体製造に関わり、実に35%がメイドインジャパンなのだそうです。日本の製造業の底力を感じましたし、不死鳥のように復興へ蘇るニッポンの姿が重なって、僕は涙ものでした。ANAさんも飛来の模様をUstrem中継していましたね。愛称は、ドリームライナー(Dreamliner)。いいじゃないです!



2011年7月6日水曜日

文月の東京へ

もう7月(文月)に入りましたね。今年も後半戦です。なんだか、速くて困りますねぇ。週末までに上げなきゃいけない締め切りを抱えつつ、きょう、明日と東京です。新千歳空港のJALラウンジです。昨夜の帰宅は午前3時。出張の用意を慌てて(しかも、静かに)やって、朝6時にはぴたっと目覚ましで起きました。なんだか具体的だった夢を見たような気がしますが、記憶がもう定かではありませんのよ。友人からは、東京は暑いぞ、と当たり前のコメントが続々と。まぁ、なんとかなるっしょ。一泊だけだし。今週末は大雪山に登りますよぉ!

2011年6月26日日曜日

初夏の日差し

 出張が重なってしまって、しばらくブロガーと遠ざかっていました。きょうの札幌は気持ちのいい陽気です。初夏だなぁ、と嬉しくなりますね。昨夜は弘前劇場の「家の前に、高い木があった」というお芝居を観に行って帰宅が遅くなりました。
でも、きょうはバビッと早起きして芝刈りと雑草取り。それとエゾシバザクラの手入れをしました。我が家は結構芝生が広いので、手入れが実は大変です。この時期は、最低でも2週間に
一度は芝を刈らないとね。
ワイフは円山登山に出かけました。午後からは友人の主宰するセミナーに行ってこようと思っています。今夜は「JIN」の最終回!見逃せないですね!

2011年5月26日木曜日

ようやく春らしく

今夜の便で再び東京です。札幌はきょう最高気温が、東京と同じく22℃まで上がり、ようやく春本番の陽気となりました。僕も今年初めての「薄着」というか、クールビズでしょうか。東京との温度差が少ないと、出張族には体調管理的にありがたいです。

北海道は春本番と新緑が一緒にやってきます。我が家のエゾヒガンザクラは満開で、濃いピンク色の花弁が心を和ませてくれています。

6月ももうすぐですね。

支え合おう、ニッポン!

2011年5月23日月曜日

朱鞠内湖

震災の後、レジャーを控えていたのですが、この週末に朱鞠内湖まで行って来ました。札幌から国道275号をゆっくり、二度ばかり休憩したがら6時間半。地図で見ても大きく、複雑な地形をしているので、天然湖とばかり思っていましたが、昭和18年に16年の歳月を費やして完成した日本最大の人造湖だったんですね。びっくり。

幻の魚といわれるイトウが釣れるんだそうで、天気はあいにくの小雨でしたが、太公望たちが集っていました。湖畔じゃないんですが、湖の手前に青い屋根が印象的な「そばの宿」があります。大阪からやってきて9年目というご夫妻がもてなす、地元・幌加内町(日本一の蕎麦の産地)の蕎麦づくしの夕餉が素晴らしい。

食後はご主人手作りの果実酒の頂きながら、地元の話を聞きました。
平成の大合併で今は上川管内だそうですが、名寄に近く、「道北」と言ってもいい朱鞠内湖。

隠れた北海道の名所でした。

支え合おう、ニッポン!

2011年5月10日火曜日

新緑の東京へ

東京へ向かうJALのラウンジです。ゴールデンウィークはいかがでしたか?僕はカレンダー通りでした。それでも十分休養できました。読書三昧と3本のお芝居を観劇。お芝居の方は今ひとつぴりっとしませんでしたが、読書では久々に面白い本と出会いました。まだ出版されていないので、正確には「本」ではないのですが。日本経済新聞(朝刊)に連載されていた「韃靼の馬」(辻原登著)なんですが、父が毎回切り取ってくれていて、それを布で閉じて送ってくれたのです。400話を超えるお話。ほとんど知られていない朝鮮通信使をめぐる冒険譚です。

これが面白いのなんのって。あまり面白くて興味が湧いてしまって、岩波新書「朝鮮通信使」という一般向けの専門書まで買って読みふけっていました。

「一衣帯水」と言いますが、昔から朝鮮半島(あるいは朝鮮半島を通しての中国文化)からの文化に大きな影響を受けていたことを改めて実感。有田や伊万里など日本に名だたる焼き物は、朝鮮半島から陶工たちが日本に伝えたものです。

「韃靼の馬」では長崎・対馬が物語の大きな舞台となっています。行ってみたいですね。対馬。今年の夏休みは朝鮮通信使をたどる旅に出てみようかと考えています。

札幌の桜もこの前の日曜日に開花。会社からもきれいな桜が見えて、ようやく春になった感じがあります。大震災から明日でもう2ヶ月経つんですね。

支え合おう、ニッポン!

2011年4月26日火曜日

桜はすぐそこまで

新千歳空港へ向かうエアポートの中です。大震災から40日余が過ぎ、世の中はゴールデンウィークへ間近です。東北の桜はこれから見頃ではないですか。確か「石割桜」というのがありましたね。震災の被害から立ち直ろうとする人たちに、せめて希望の光を咲かせて欲しいと思います。この黄金休暇中で被災地にボランティア活動に行くという方も少なくないことでしょう。「震災後社会」という新しい、そして大きな物語を私たちはこれから紡いでいかなければいけないのだと思います。

札幌の開花予想は5月4日です。

支え合おう、ニッポン。

2011年4月15日金曜日

桜花惜しむ季節

3泊4日の東京出張を終えて、札幌へ戻る便を待つラウンジです。もう満開ではありませんでしたが、都内で桜を見ることができました。東京に到着した夜、CAの方が「東京はもう桜の花びらが舞い散るのを惜しむ季節となりました」とアナウンスしていたのが、とても印象的でした。大震災で、しばらく時間が止まったような感覚がありましたが、季節はうつろい、花は咲いて、散っていくのですね。

花の神様と、大震災の災厄をもたらした神様はおなじ神様でしょうか。

神はいるのか、とふと思うこのごろです。

震災の後にリリースされたMr.Childrenの曲で「かぞえうた」があります。
こんなに打ちのめされても、手を取り合い、人は前を向いて生きる。
音楽のチカラを感じた曲でした。

最近、サントリーさんが流している「見上げてごらん」の曲も素敵です。
1985年のジャンボ機墜落事故で客死した坂本九さんの不朽の名作。
このクリエイティブには頭が下がりました。

北海道の桜はまだこれからですが、北上する桜前線が福島、東北の人たちを慰め、力づけて欲しいと思います。支え合おう、ニッポン!

2011年4月12日火曜日

桜は満開なれど

こんにちは。カレンダーは4月も半ばとなりました。これから東京へ向かう空港のラウンジです。福島原発事故はきょう改めて国際的な事故評価で最悪、チェルノブイリ原発事故と同じ「レベル7」と引き上げられました。地元の方々にとっては、いまさら冗談じゃないというお気持ちでしょう。強い余震も続いており、日本はいったいどうなってしまうのか、不安な気持ちも拭えません。

昨夜、東京の友人から写真付きのメールをもらいました。満開のサクラでした。どんな時でも、花は咲いてくれる。当たり前のことに、なぜだかすごくホッとした気持ちになりました。桜を咲かせてくれる神様と、凄まじい破壊力を見せつけた神様とは同じなのでしょうか。この世に神様はいるのか。この災厄は何のためなのか。天を仰ぎ、手を合わせて、そう思うのです。神よ、あなたは何をしたのですか、と。

桜は満開なれど、山河破れてはなんとしましょう。

金曜日まで東京です。

2011年3月31日木曜日

また逢う日まで

懐かしの昭和のヒット曲、また逢う日まで。
尾崎紀世彦の名曲です。

東京出張から引き続いた休暇もきょうで終わり。関西空港へ向かうリムジンバスの中で書いています。リムジンバスのターミナルになっている上本町の近鉄百貨店(デパートというよりも百貨店のいう呼び名が好きです)の地下街で、大阪ならではでしょう、551蓬萊の海鮮焼きそばをお昼に食しました。大阪では「蓬萊」という屋号よりも、551という方が通るかもしれませんね。焼きそばでも、「焼き」と「揚げ」を選べるのも大阪流。「揚げ」そばにしてもらいました。とても懐かしい味。ああ、やっぱり僕は関西人です。

10日ぶりに札幌へ帰ります。震災のニュースを両親と一緒に遅くまで見ていて、とにもかくにも元気でこうしていられることに感謝し、つつましやかですが、平和な家庭が一番だと改めて感じ入りました。普段はそう話す時間のない、3歳年下の妹とも話すことができました。

今度来る時は夏でしょうか。被災地の復興は、人々の生活の再建はどこまで進んでいるでしょうか。父も、母も元気でいて下さい。また逢いましょう。

大阪は快晴。最高気温は16℃まで上がるそうです。札幌はまだ9℃。とはいえ、雪解けが進んでいるでしょうね。僕の住む街、札幌へ。

2011年3月30日水曜日

世界がひとつになるまで

大阪はきょうも快晴。16℃近くまで上がったのでは。お昼に近くのスーパーマーケットまで自転車をこいで買い物に出かけ、関西風のうどんを作りました。甘いきつねのお揚げ。天かすとおぼろ昆布も入れてね。明日の今頃には、札幌へ帰る飛行機の中です。

震災のニュースが連日続いています。日が経つにつれ、復興や生活の再建ということに焦点が移ってきたようです。その中で、奇跡のような出来事を伝えるニュースを昨夜知りました。震災の大津波で壊滅的な被害を受けた小学校の話です。卒業式に使われるはずのピアノも、水に浸かり、泥をかぶったそうですが、鍵盤を叩くと奇跡的にも音が出たそうです。近隣の避難所にもなっている小学校では、先生たちが被災者でもある生徒たちの卒業式をやろうと心を砕いて回りました。ピアノは6年生たちによって、きれいにされました。そして、避難している人たちにスペースを一時的に空けてもらって、卒業式は行われました。卒業式の時にみんなで歌おうと決めていた歌があったそうです。学び舎を巣立つ少女の手でピアノは見事な音色を奏で、子供たちは素晴らしいハーモニーを響かせました。家族が、被災した人たちがその歌声を聞きました。

世界がひとつになるまで。

NHK教育テレビで放送されていたアニメのエンディングテーマ曲です。

つらいとき、ひとりで
涙こらえないで

じーんとこみ上げてくるものがありました。
普段通りじゃない状況で、普段通りのことができる。
それは、生きていることへの喜び。感謝ではないでしょうか。
どんな困難な時もひとは生きてゆく。
乗り越えられない困難などないと信じて。

世界がひとつになるまで
ずっと手をつないでいよう

ピアノを弾いた少女は、「みんなに感謝の気持ちを伝えたかった」と話していました。こころ、つなげよう。

(歌詞:松井五郎)

2011年3月29日火曜日

妹の”家” OLDRIVERにて

僕の妹のお店に来ています。夫婦二人で営んでいる小さな喫茶店です。場所は、大阪・天王寺区役所の斜め前、隣に夕陽丘じてんしゃのお店があります。名前はOLDRIVERです。以前は長野県白馬村でペンションを長く経営していましたが、夫婦とも大阪生まれ。縁があって天王寺区にお店を構えることになりました。



喫茶店ですから、コーヒーが美味しい。ケーキは夫婦ともにパティシエなんですよ。文句なく美味しい。それに白馬村時代にも出していた自慢のカレーです。いわゆるカレールーを使いません。挽肉をいろんな野菜やスパイスとじっくり煮込んだお薦めです。きょうはランチタイムを外して来たので、ライスが残り少なく、ナンをつけてくれました。





たっぷりの野菜サラダとコールスローがついています。ドレッシングももちろん自家製。喫茶店には珍しく根菜類がたくさん入っているのがお気に入りです。常連さんの中には、サラダだけを持ち帰りで注文される方もいらっしゃるのだそうです。


大阪に帰ってくるとここのカレーが無性に食べたくなります。
ジャズ好きのご主人の選曲もグッド。お近くに来られた際には、ぜひお立寄下さいね。妹の姓は、文字通りOLDRIVERなのです。


川の流れのように。


小さいけれど、本当に美味しいお店です。


セロリ

きょうも大阪は快晴です。センバツが普段通り開催されていますが、観ていて何かホッとするものがあります。昨日敗れた東北高校の健闘には拍手を送りました。練習も出来ず、給水のボランティア活動をしていたそうです。敗戦後のインタビューで主将が、「これからも給水ボランティアなど地元の人たちを元気づけたい」と清々しく話していたのが印象的でした。勝つことだけが大切なのではない。アマチュアスポーツの神髄を見たような気がしました。



昨夜は家族でレストランに行きました。御堂筋にあるガスビル食堂です。ここは昭和8年に竣工した大阪ガス本社ビルの上にある「社員食堂」です。当時は大阪で最も近代的で美しいビルだったそうです。レトロな店内からは、大阪城の天守閣や生駒山が望めたそうです。今は周囲に高層ビルが建ったのですけれども。



ここでは、西洋料理をベースに独自の欧風料理のアレンジを加えたメニューが楽しめます。コースの最初に出てくるのは、セロリ。セロリの料理じゃないですよ。セロリがそのまま、出て来ます。開店当時は珍しかった西洋野菜。お好みで塩をかけて、手でカリカリっと頂きます。おいしいんです。









お皿の中央にあるのはすずらん。ガス灯のほやに花姿が似ていることから、創業当時から大阪ガスの意匠として使われて来たそうです。天井の高いレトロな店内。広い待ち合いスペースも、クロークもあってくつろげます。



大阪らしいですね。ガスビル食堂、大阪にいらっしゃった時にはお楽しみ下さい。

2011年3月28日月曜日

木瓜の花言葉

きょうは大阪は快晴。気温もきのうより暖かいです。

実家の庭先にある木瓜(ぼけ)の花がほころび始めました。
早咲きのサクラはもう散ってしまったそうですが、清楚なピンク色が春を感じさせてくれます。木瓜の花言葉はいろいろありますが、「平凡」です。ありのままでいること。毎日を迎えられること。震災の後、そういうささやかだけれども大切なことに気づかされます。季節はめぐり、花は咲く。そう思えば、笑顔になれるかもしれませんね。

春夏秋冬 花鳥風月 桃花流水 一陽來復

山里には、また春がやってきますように。

2011年3月27日日曜日

子供は一人で育つ

京都から大阪の実家へ帰る特急の中です。radiko.jpで地元FMを聞きながらこのブログを書いています。

京都の大学に通っている息子と久しぶりにご飯を食べて、いろんなことを語らいました。思っていたよりも、ふっくらとして「肥った?」って感じでしたが、元気そうでよかった。シュウカツは大変そうでしたが、いつの間にか親が思っているよりも大人になっているのだなぁと感じました。

一人暮らしの部屋もきちんとしていて、男の部屋としては清潔な方ではないでしょうか。親としては、なんだか拍子抜けするぐらいきれいでホッとしました。

近くの「美齢(めいりん)」という中華料理店で夕食をとりました。このお店は、こんなとこにお店はないでしょ!というほど京都らしい町屋の隠れ中華料理店だそうです。夕方は予約をしないと入れないという評判のお店。1ヶ月ほど前から予約を入れていました。向かい合わせで、とりとめもなく、話題はあっちにいったり、こっちにいったり。それがとても嬉しくて。彼はずっと緊張しているのだろうし、震災もあって、就職活動に漠然とした不安ももちろんあるでしょう。でも、こうして元気でご飯を食べてくれている。ああ。ありがとう。そんな気持ちがこみ上げて来ました。

美齢の近くにある、京都では有名なフランスパンのお店「ル・プチメック」で両親の分と彼の朝食分のクロワッサンとクロック・ムッシュを買いました。

「一人暮らしを京都でして良かった?」と聞きました。

彼は少し考えて、「震災があって、東京での就職はどうなんだろうと考えた。関西で考えている」と答え、「もちろん一人暮らしして良かったよ」と目の前の石焼マーボードーフを美味しそうに食べていました。

大人になったんだなぁ。知らない間に。

僕より頭一つ背が高い彼のことを、少し誇らしく思ったのです。

春の京都へ

東日本大震災からもう2週間あまり。災害の爪痕はあまりにも大きく、復旧・復興にはかなり長い時間が必要です。被災された地方の皆さんへ心からお見舞いを申し上げます。

休暇で実家のある大阪に来ています。実家の庭にあるさくらんぼの実を付ける早咲きのサクラは既に散り、いまはボケの花が咲いています。帰省するのは年に1、2度です。まだ両親とも元気でいますが、会うたびに時間が過ぎていくのがよく分かり、せつなばかりです。

息子が帰ってくるのが嬉しくないはずはなく、つつましい年金暮らしの中から、ごちそうをしてくれます。昨夜はすき焼きでした。札幌でも、そんな料理は年に1回あるかないか。親のありがたさが、今更ながらに身にしみます。

大阪は快晴。花粉がひどく飛んでいるようです。これから新しく出来た直行のバス便で、東大阪の布施から京都へ向かいます。シュウカツ中の息子を励ましに(?)行こうと思っています。彼は昨年の超就職氷河期に会い、捲土重来を期した今年は震災にあたる、なんとも厳しい環境です。でも、最後まで諦めずに最後の大学生活を過ごして欲しいと思います。美味しい中華でも食べて、ビールでも飲んで、語り合って。

新しく出来た大阪バスの京都特急ニュースター号、第二京阪道路を使って京都まで70分。大人料金(片道)850円。大丈夫かな。お客さんはあいにく僕一人です。

バスが動き出しました。両親からお茶の葉を使った京都名物の佃煮を買って来てくれるよう頼まれました。そういえば、東京からだったのでお土産も買うのを忘れました。

日差しが暖かい。季節は春。震災地も一日も早く笑顔が戻りますように。

2011年3月25日金曜日

ヨゼフさんを忍んで

新幹線で大阪へ向かって移動中ののぞみです。

きょうも快晴。寒さも少し緩んだでしょうか。
昨夜は、急逝したヨゼフさんを忍んで、赤ワインを飲みました。

まったく業界人らしくない方でした。剛胆にして繊細。九州男児でした。いつもオーラが出ていて、格好いい、ああ自分もこんなふうになりたいと思う大人でした。あまりにも「若い」死です。

お別れの後、棺が開けられてお顔を拝することができました。俳優の山崎努さんが、腰を屈めて、ヨゼフさんの頬をなでながら、なにか語りかけていらっしゃったのがとても印象的でした。僕も深々とお礼をしました。「これらからも作り続けていけるよう、どうかお導き下さい」と祈りました。

きょうから31日まで休暇です。東日本大震災でどうしようかと思いましたが、予定通りお休みを頂くことにしました。東京では早咲きのサクラがもう散っています。ヨゼフさんは、いつかキリストゆかりの地を家族と一緒に巡礼するのが夢だったそうです。あなたの魂がいつも御心とともにありますように。

もうすぐ、4月。

2011年3月24日木曜日

弥生の別れ

なんでしょうか。予感。あるいは虫の知らせだったのでしょうか。

本当はきょう夕方の便で帰ることにしていました。でも、昨日の夜、なんだか帰ってはいけない気がして、ホテルをもう一泊とることにしました。誰かに呼ばれたのかもしれません。

でも、きょうは普段通りで。それなのに、仕事は予定通りに終わりそうで。だったら、やっぱり、ホテルをキャンセルして札幌に帰ろうかと。

そう思っていて、次の打ち合せがあった原宿駅のそばで、携帯が鳴りました。もう10年以上おつきあいのある女優さんからでした。いやな予感がしました。

彼女の所属事務所の社長さんが急逝したのです。ここ数年体調がすぐれず、どこかお悪いのは知ってはいましたが、あまりにも急でした。

彼、と書いてしまいますが、とは10年以上のおつきあいがあります。初めてお会いしたのは、1999年の冬、札幌でした。ですから、もう12年のおつきあいでした。東京と札幌と離れてはいますが、年に一度は必ずご挨拶しに伺っていました。僕のドラマの師とも言える方でした。

連絡をくれた女優さんは、その翌年の2000年に僕が初めて作ったドラマのヒロインを努めてくれた俳優さんです。NHKの今年下期の朝の連続テレビ小説の主役に抜擢されたばかりでした。一番喜んでくれたのは、きっと彼女を見いだした彼でしょう。そんなお祝いごとを見届けるように、彼は旅立ちました。

彼はカトリックの洗礼を受けていたそうです。洗礼名はヨゼフ。
今夜は都内の教会で「お通夜」がありました。山崎努さん。小林薫さん。田中裕子さん。鈴木京香さん。風吹ジュンさん、樋口可南子さん。彼がかかわった俳優さんたちが弔問に訪れていました。

主の御元に。

本当に多くのことを教わりました。
僕のドラマチームを育ててくれました。
かっこいい、大人の男でした。

本当にありがとうございました。心から感謝しています。
これからも、作り続けることで、僕は頂いたご恩に報いたいと思います。

2011年3月22日火曜日

節電中

浜松町のホテルにチェックインしました。

羽田空港からモノレール。車窓の景色はいつもと変わっていません。ですが、モノレールの浜松町に着いて分かりました。とても暗いんです。コルトンって言うんでしょうか、中に照明が入っている広告ボードが全部消えています。乗客の足下だけ照らす照明があって、全体的に暗いです。節電中なのですね。

ホテルのロビーも照明が落とされていました。ブログを書こうとホテルの部屋からネットにつないだら、ヤフーのトップで東京電力の現在の消費電力が供給電力に対して91%だと表示されていました。

普段から出来ることかも知れませんね。「自粛」っていうのはボーダーラインがなくって、やったところがどんどん物差しになってしまう。昭和天皇がお亡くなりになった1989年がそんな感じでした。もう22年も前のことなんですね。

プロ野球でナイター自粛が話題を呼んでいます。普段通りのことは、普段通りすればいいと思います。別のことで、被災地や被災者の支援はいくらでもできるのではないでしょうか。このデフレで、人とモノの流れが滞ると負のスパイラルに入っていくような気がします。

とはいえ、明日の打ち合わせ。時間だけ決まって、場所がまだ決まりません。これも計画停電の影響でしょうか。ツイッターの情報では、23区内の交通機関は平常通りとか。遅くならないうちに、ホテルに帰ることとしましょう。

では、行ってきます。

Pray for JAPAN !

ふたたびの東京

出発時刻まで40分。

今、新千歳空港の出発ラウンジにいます。
東日本大震災から13日目。この3連休中に、死者・行方不明者の数が、警察が把握しているだけでも、2万人を超えてしまいました。一家で被害にあったりして、そもそも捜索願を出せない方は推定さらに2万人。文字通り未曾有の自然災害です。

福島第一原発の状況も厳しい状況の中、必死に冷却、封じ込めの作業が続いています。余震もまだ続いていますね。

東京も普段通りとは行かないのかもしれませんが、きょうからは自宅待機が解けた方々もいらっしゃることでしょう。こういうときには、普段していることを普段通りにやる方がいいのかもしれません。

きょうから24日まで東京出張です。いつも常宿にしている浜松町のホテルからは、前日確認のメールがありました。レストランも休業。朝食メニューも少なくなるとのことでした。避難所生活を余儀なくされている方々は20万人以上。それを思えば、ホテルにちゃんと泊まれて、ベッドがあること自体ありがたいことです。

何か特別なことをしようとするのも尊いことだと思うのですが、普段通りのことを普段通りにやる。そのことが、人やモノの流れを枯れさせないことではないかと思います。海外を含め、多くの国や人たちが「頑張れ、ニッポン」のエールを送ってくれています。

どんな状況の中でも、人は生きていくのです。
生きていくことが、明日を迎えることでもあります。

Pray for JAPAN !

被災地の上空を超えて行くことに、なんだか不思議な気持ちを感じます。

2011年3月18日金曜日

東日本大震災から一週間

東京・六本木。午後2時46分。3月11日(金曜日)。

あの日から8日目です。僕は翌日なんとかモノレールが動いていて、JALも飛んでいて、お蔭で札幌に無事戻ってこれました。ずっとあれから、テレビの前に釘付けです。

死者・行方不明者、合わせて2万人近い数字。
数十万単位の方々が、今も被災地の避難所で難儀を強いられています。
水がない。食べ物がない。ミルクがない。トイレもない。暖を取る灯もない。国家規模の災害で、支援を行う行政の側も大きな被災者と言え、小さなコミュニティまでなかなか救援物資ひとつとっても届かないようです。

あと、原子力発電所の事故。
やっぱり、大自然の猛威の前には人類の叡智は無力なのでしょうか。頑張れ、福島。発電所に残っている作業員の皆さん。自衛隊の皆さん。なんとか、このダモクレスの火を沈めて下さい。

札幌はきょうは快晴です。昨夜は吹雪きました。名残雪かもしれません。街中の生花でサクラを見かけて、思わず何か胸のつかえが下りた感じがしました。

日本中が極度の緊張状態。被災者の皆さんはどれだけのストレスをため込んでいることか。

Pray for JAPAN 3.11

祈ることの意味を考える毎日です。

2011年3月12日土曜日

巨大地震

東北地方を襲った巨大地震から一夜明けました。被害の拡大が次々と明らかになっています。きのうの発生時。僕は六本木にある建物で会議中でした。自分のプレゼンテーションが終わって、次の方が用意をしていた時でした。大きな揺れを感じました。天井の照明がぐらぐら揺れて。思わず、iPhoneの動画機能を立ち上げて撮影していました。

そのうち、震度7という情報が入って来て、全員騒然となりました。会議はもちろん中止。

iPhoneのGPS機能を使って、六本木から徒歩で浜町町へ向かいました。地下鉄もJRも動いておらず、時折バスが走っている程度。タクシーはつかまりません。ほとんどの人が歩いていました。

ようやくホテルにたどり着きました。「きょうはもう部屋を出ない方が安全だろう」そう思って、近くのコンビニに行ったのですが、ほとんど食べるものはありませんでした。お菓子もなし。皆さん、ちょっと殺気立ってて怖い感じ。その後、ずっとテレビに釘付けでした。

モノレールは動いているようです。羽田も大丈夫みたいです。
午後の便で札幌に帰ります。

2011年3月11日金曜日

シングルマザーズ

おはようございます。

いやはや。ついに花粉症でダウンです。副鼻腔が腫れて、眠りが浅くてすぐ起きてしまいます。現在時刻、午前5時42分。昨日も同じくらいの時刻に目が覚めました。これでは体調が狂ってしまいますね。うーん、これは予想外。

昨日は池袋にある東京芸術劇場で上演中の「シングルマザーズ」を観て来ました。
劇作家の永井愛さん率いる劇団、二兎社の結成30周年の記念公演です。名前からお分かりのように、設立当初のパートナーは現在脚本家として活躍する大石静さんです。昨年話題を呼んだ「セカンドヴァージン」は、大石さんの手になるドラマです。

兎年生まれの二人。結成して10年後には、お互い目指すものが違って来たと、永井さんは演劇へ。大石さんはテレビドラマへと違う道へ進むことになります。

永井さんとは、ちょっとした接点があります。2004年ですからもう7年も前の頃。「新・明暗」(主演は佐々木蔵之介さん)という舞台で札幌にワンステージだけですが、来られたのです。僕が永井さんのファンだったこともあり、地元の演劇鑑賞会さんに働きかけて、公演の宣伝やポスター貼り、当日の制作のお手伝いなどをしました。

当日僕は公演場所の許可を得て、楽屋でジンギスカン鍋(焼くのではなく、煮るやつ)をして、佐々木蔵之介さんたち役者さんや、永井さん始めスタッフの皆さんをもてなしたんです。ジンギスカンのいい匂いが、ホワイエまで漂ってそれはそれは(笑)。

打ち上げのお店のセッティングも僕の担当で、知り合いのラムしゃぶのお店に頼んで、安くしきりました。

永井さんは受付にいらっしゃって、「ああ!四宮さーん!」と覚えてくださっていて、とても嬉しかったです。お芝居もとても良かったです。主演は沢口靖子さん。沢口さん、映像以外では商業演劇の方という印象がありますが、なかなか粘っこい芝居をしていて素敵でした。

こうしてブログを書いていて、午前6時。
このホテルの最上階にはお風呂があるのですが、朝風呂に入ってこようかな。少しは副鼻腔が楽になるかも。

2011年3月10日木曜日

欅の木が見える場所

東京出張3日目です。

花粉にやられています(泣)。
早朝に鼻が詰まって起きてしまったり。しかも、今年は例年よりも多いそうですね。ホント、東京人の方が気の毒です。

ちょうど今、午後4時からあるセミナーの前で、少し時間が空いたので、タリーズに入ってこのブログを書いています。

ちょうどお昼には原宿にいました。友人がきょうオープンしたばかりの、本店が鎌倉にあるお蕎麦屋さんに連れて行ってくれました。ビルの中になるのですが、お店からは原宿のシンボルツリーである欅並木が見えました。5月くらいには新緑が眩しいそうですね。お店の名前も「ケヤキ」なんですよ。

とても美味しいお蕎麦でした。辛口の純米酒をグラスで頂きました。

いいですね。原宿っていい街だなぁ。

2011年3月9日水曜日

女優さんとの出逢い

こんばんは!

今夜も東京です。ホテルの近くに、以前から気になっていたリストランテがあったのですが、ようやく食して来ました。ホテルの周辺は「イタリア街」と言うそうですが、それらしい雰囲気も乏しくとても残念に思っていました。

きょう行ったところは、イタリア専科ではありませんでしたが、イタリア+スペインって感じ。ワインのセレクションもカリフォリニアや南米、オセアニア含めて意外性もあり、美味しかったです。

NHKの朝の連続テレビ小説。今年度下期の「カーネーション」のヒロインに、尾野真千子さんが決まりました。尾野さんは、僕が初めてプロデュースしたドラマ「ひかりのまち」のヒロインを演じてくれた女優さん。当時は高校を卒業して東京に出て来たばかりの18歳でした。

実はきょう、彼女と久しぶりに会うことができたのです。

今年30歳を迎える尾野さん。
素敵な女性に成長していました。

一期一会、という言葉があります。11年も前。まだ無名だった彼女を、僕は自社制作ドラマ第一作のヒロインに抜擢しました。きっと、普通のドラマプロデューサーだったら、出来なかったことだったと思います。

18歳だった尾野さんが見事に演じてくれたように、今回も間違いなくヒロインを生きてみせることでしょう。

もっと出来る。もっと上に行ける。
見てるぞ、マッチ!

三月の東京

おはようございます。

昨日から東京に来ています。

僕が来る前日は雪だったそうですね。
札幌も雪解けが進んで、「ああ、このまま春になるのかな」と思っていたら、やはりどか雪が降りました。札幌の一晩での積雪は実に92㎝!夜と朝と、また夜に雪かきをしなくちゃだめでした。

この時期、東京に来てしんどいことに「花粉症」があります。
なんでも今年は去年の3倍以上の花粉が飛ぶんだそうで。
インフルエンザが流行っていることもあって、東京もマスクをつけた方が目につきますね。

用心のために(と言っても気休めにしかならないのですが)、羽田でアレルギー性鼻炎の薬を買いました。昨日はとあるセミナーに出ていたのですが、登壇された方で花粉症なのでしょうか、くしゃみを何度か我慢されて、スピーチが何度も途中で止まるハプニング(?)もありましたね。この時期の東京はしょうがないよね。

表参道の伊豆の魚を食べさせるお店「やんも」で、春の味覚を満喫しましたよ、昨夜は。スタバに立ち寄って、フラペチーノ片手に少しおしゃべりして、東京の友人とは分かれました。

そろそろ寝ようかと思っていたら、NHK「プロフェッショナル」が始まって、最後まで引き込まれて観てしまいました。異色の中華料理人のお話。なんかよかったなぁ。

もっと出来る、上に行ける。

衰えることのない向上心。自分の理想の味を追い求める姿は、プロの鏡のようでした。

今、ホテルの窓のカーテンを開けました。

きょうも東京は晴れですね。
コートも2種類持ってきましたよ。
3月の東京は荷物が多いね。

では、きょうも一日、いい日でありますように。

2011年3月1日火曜日

札幌へ戻ります

東京支社でこのブログを書いています。

きょうも寝坊しました…。
せっかくホテルは朝食付きパックなのに、食べ損ねました。
昨日も遅くまで本を読んでいたんですね。

出張先に本は欠かせません。
寝る前にブログを書いたり、メールの返事を書いたして。
ベッドに入ると、お気に入りの一冊を持ち込んで眠くなるまで読むんです。

金子光晴の「絶望の精神史」。何度も読み返す名著です。
きっかけは、2004年に制作したスペシャルドラマ「六月のさくら」で、ヒロイン(大塚寧々さん)のお姉さん役を演じていただいた中村久美さんから頂いた本なのです。

金子光晴と名字違いですが井上光晴なんかも好きです。井上光晴の娘さんは、かの井上荒野さん。荒野さんも大好きな作家です。日本の作家で一番好きなのは、学生時代から読み続けている村上春樹でしょうか。

打合せが早く終わりました。
もう少し仕事してから、羽田に向かいます。
札幌は、最高気温が2℃だそうです。

きょうから3月。東京ではもうお店の生花にトウカイザクラが出回っていますね。

はやく春になあれ。

麻布十番にて

先ほど麻布十番から地下鉄でホテルに帰ってきました。

JALのグローバルクラブの会員誌で紹介されていたフレンチの新しいお店、オルタシアに行って参りました。地下鉄大江戸線・麻布十番駅7番出口から徒歩5分。

地上へ出ると六本木ヒルズも遠くに見えます。
六本木は僕の年齢ではちょっと厳しい街になってしまいました。
まだ西麻布。もっと遠くへ麻布十番。
東京らしい町並みが残っていて、夜のそぞろ歩きも風情があります。

地下にあるお店で、看板も小さいんです。
なのに天井がとても高くて素敵です。

知り合いの演劇ライターの彼女を誘いましたよ。
お芝居の話を聞きながら、軽めのカリフォルニアワイン(オレゴン産ピノノワール)を一本空けました。メニューはプリフィックスの方をチョイス。前菜・メーンを4つチョイスできます。僕はマグロのサラダ、テナガエビのスープを前菜に。メーンには穴子と真タラの白子、それに鹿肉を選びました。もちろんデザートもね。

彼女は一皿来るごとに、「凄い!」と言って、デジカメで写真を撮りまくっていましたよ。僕もワインのラベルだけ記念に撮影しました。

誰かと一緒にご飯を食べるのは楽しいね。
二次会は、駅の方に戻りながら雰囲気のよいお店があったので飛び込みで。
KOTATSUという焼き物のお店。ちょっとシモキタにありそうな店構えがオサレ。生姜サワーがとても美味しくて2杯も飲んでしまいました。

地下鉄の駅で、彼女は僕を見送ってくれました。
明日はまた東京支社でミーティングです。
夜の便で札幌に帰ります。

ありがとう。食べることは基本。
誰かといることは楽しい時間をシェアすること。
Be Happy !

2011年2月28日月曜日

ご飯を一緒に

いま東京支社(築地市場のそばにあります)でこのブログを書いています。

東京出張の折は、どうしても個食になりがちです。
常宿にしているホテルが、あまりにも居住性がいいし、おまけに隣にしゃれたコンビニまであって、どうしても部屋食になっちゃいます。

「これはいかん!」

これまでは、下北沢にお芝居を観に行ったり、新宿の単館レイトショーを観たりする関係で、適当なところで安く、ささっと食べて済ませていたのね。

でも、一人でもお店に入れる年になったと思うので、美味しいという評判のお店に足を運ぶことにしていますよ、最近は。

先日、銀座にある「ぎんざ一二岐(いぶき)」さんには感動しました。
京都で修業をしたというご主人の丁寧な仕事ぶりと確かな目利き。
幸せな夕餉でした。

というわけで、ご飯は誰かと食べるとおいしいので、きょうは知人の演劇ライターを誘いました。お芝居の最新情報を教えてもらうかわりに、美味しいご飯をご馳走する。

今夜は麻布十番で評判のお店をチョイスしました。

皆さん、ご飯をご一緒に。

雨の東京

おはようございます。

ホテルの窓のシェードをあげると、外は雨です。
昨夜は遅くまでテレビを見ていたり、ネットをしていたので、眠るのが遅くなりました。
珍しくけさは寝坊です。

きょうは表参道でさる方を一緒にランチをします。

夕食は麻布十番で評判のフレンチに行ってみようかな。
雨で花粉がおさまっていますように。

ではでは、行ってきます!

facebookに訊け

めずらしく日曜に東京出張です。

東京ミッドタウン(六本木)にある会議スペースで開かれたfacebookの勉強会に参加しました。パネリストは、神田敏晶さん、松宮義仁さん、横田奈津子さん、笠井直人さん(順不同)。特に神田さんは著名人ですね。

同じ六本木でも、ヒルズと違って、ちょっと落ち着いた感じが良かったです。まぁ、バブリーな地区には違いはないのですが。

勉強会の後、事前申し込み者だけの少人数の懇親会があってね。
何とミッドタウンのレジデンスの一室。
ホームパーティのような雰囲気で。みんなで車座になってね。
面白い話がいっぱい聞けて楽しかった。

ITの社長さんてみんなどうしてあんなに若いのかな。

22Fにお部屋があるんだけど、13Fに一旦乗り換える仕組みになってました。
そこからは居住者しか行けないセキュアリティになっててね。
ホテルのフロントみたいになっていて奇麗なお嬢さんが二人いたんだけど、感じ悪かったですね。人を見下したような目をしていてね。せっかくのゲストなのに。

「ふーん」って感じでした。

東京タワーが奇麗でしたよ。
お部屋を使わせてくれた市村社長、ありがとうです。
きょうからインドへ行くそうです。

明日は青山です。
東京の風は花粉注意報。

きょうもハッピーであれ!