2011年3月31日木曜日

また逢う日まで

懐かしの昭和のヒット曲、また逢う日まで。
尾崎紀世彦の名曲です。

東京出張から引き続いた休暇もきょうで終わり。関西空港へ向かうリムジンバスの中で書いています。リムジンバスのターミナルになっている上本町の近鉄百貨店(デパートというよりも百貨店のいう呼び名が好きです)の地下街で、大阪ならではでしょう、551蓬萊の海鮮焼きそばをお昼に食しました。大阪では「蓬萊」という屋号よりも、551という方が通るかもしれませんね。焼きそばでも、「焼き」と「揚げ」を選べるのも大阪流。「揚げ」そばにしてもらいました。とても懐かしい味。ああ、やっぱり僕は関西人です。

10日ぶりに札幌へ帰ります。震災のニュースを両親と一緒に遅くまで見ていて、とにもかくにも元気でこうしていられることに感謝し、つつましやかですが、平和な家庭が一番だと改めて感じ入りました。普段はそう話す時間のない、3歳年下の妹とも話すことができました。

今度来る時は夏でしょうか。被災地の復興は、人々の生活の再建はどこまで進んでいるでしょうか。父も、母も元気でいて下さい。また逢いましょう。

大阪は快晴。最高気温は16℃まで上がるそうです。札幌はまだ9℃。とはいえ、雪解けが進んでいるでしょうね。僕の住む街、札幌へ。

2011年3月30日水曜日

世界がひとつになるまで

大阪はきょうも快晴。16℃近くまで上がったのでは。お昼に近くのスーパーマーケットまで自転車をこいで買い物に出かけ、関西風のうどんを作りました。甘いきつねのお揚げ。天かすとおぼろ昆布も入れてね。明日の今頃には、札幌へ帰る飛行機の中です。

震災のニュースが連日続いています。日が経つにつれ、復興や生活の再建ということに焦点が移ってきたようです。その中で、奇跡のような出来事を伝えるニュースを昨夜知りました。震災の大津波で壊滅的な被害を受けた小学校の話です。卒業式に使われるはずのピアノも、水に浸かり、泥をかぶったそうですが、鍵盤を叩くと奇跡的にも音が出たそうです。近隣の避難所にもなっている小学校では、先生たちが被災者でもある生徒たちの卒業式をやろうと心を砕いて回りました。ピアノは6年生たちによって、きれいにされました。そして、避難している人たちにスペースを一時的に空けてもらって、卒業式は行われました。卒業式の時にみんなで歌おうと決めていた歌があったそうです。学び舎を巣立つ少女の手でピアノは見事な音色を奏で、子供たちは素晴らしいハーモニーを響かせました。家族が、被災した人たちがその歌声を聞きました。

世界がひとつになるまで。

NHK教育テレビで放送されていたアニメのエンディングテーマ曲です。

つらいとき、ひとりで
涙こらえないで

じーんとこみ上げてくるものがありました。
普段通りじゃない状況で、普段通りのことができる。
それは、生きていることへの喜び。感謝ではないでしょうか。
どんな困難な時もひとは生きてゆく。
乗り越えられない困難などないと信じて。

世界がひとつになるまで
ずっと手をつないでいよう

ピアノを弾いた少女は、「みんなに感謝の気持ちを伝えたかった」と話していました。こころ、つなげよう。

(歌詞:松井五郎)

2011年3月29日火曜日

妹の”家” OLDRIVERにて

僕の妹のお店に来ています。夫婦二人で営んでいる小さな喫茶店です。場所は、大阪・天王寺区役所の斜め前、隣に夕陽丘じてんしゃのお店があります。名前はOLDRIVERです。以前は長野県白馬村でペンションを長く経営していましたが、夫婦とも大阪生まれ。縁があって天王寺区にお店を構えることになりました。



喫茶店ですから、コーヒーが美味しい。ケーキは夫婦ともにパティシエなんですよ。文句なく美味しい。それに白馬村時代にも出していた自慢のカレーです。いわゆるカレールーを使いません。挽肉をいろんな野菜やスパイスとじっくり煮込んだお薦めです。きょうはランチタイムを外して来たので、ライスが残り少なく、ナンをつけてくれました。





たっぷりの野菜サラダとコールスローがついています。ドレッシングももちろん自家製。喫茶店には珍しく根菜類がたくさん入っているのがお気に入りです。常連さんの中には、サラダだけを持ち帰りで注文される方もいらっしゃるのだそうです。


大阪に帰ってくるとここのカレーが無性に食べたくなります。
ジャズ好きのご主人の選曲もグッド。お近くに来られた際には、ぜひお立寄下さいね。妹の姓は、文字通りOLDRIVERなのです。


川の流れのように。


小さいけれど、本当に美味しいお店です。


セロリ

きょうも大阪は快晴です。センバツが普段通り開催されていますが、観ていて何かホッとするものがあります。昨日敗れた東北高校の健闘には拍手を送りました。練習も出来ず、給水のボランティア活動をしていたそうです。敗戦後のインタビューで主将が、「これからも給水ボランティアなど地元の人たちを元気づけたい」と清々しく話していたのが印象的でした。勝つことだけが大切なのではない。アマチュアスポーツの神髄を見たような気がしました。



昨夜は家族でレストランに行きました。御堂筋にあるガスビル食堂です。ここは昭和8年に竣工した大阪ガス本社ビルの上にある「社員食堂」です。当時は大阪で最も近代的で美しいビルだったそうです。レトロな店内からは、大阪城の天守閣や生駒山が望めたそうです。今は周囲に高層ビルが建ったのですけれども。



ここでは、西洋料理をベースに独自の欧風料理のアレンジを加えたメニューが楽しめます。コースの最初に出てくるのは、セロリ。セロリの料理じゃないですよ。セロリがそのまま、出て来ます。開店当時は珍しかった西洋野菜。お好みで塩をかけて、手でカリカリっと頂きます。おいしいんです。









お皿の中央にあるのはすずらん。ガス灯のほやに花姿が似ていることから、創業当時から大阪ガスの意匠として使われて来たそうです。天井の高いレトロな店内。広い待ち合いスペースも、クロークもあってくつろげます。



大阪らしいですね。ガスビル食堂、大阪にいらっしゃった時にはお楽しみ下さい。

2011年3月28日月曜日

木瓜の花言葉

きょうは大阪は快晴。気温もきのうより暖かいです。

実家の庭先にある木瓜(ぼけ)の花がほころび始めました。
早咲きのサクラはもう散ってしまったそうですが、清楚なピンク色が春を感じさせてくれます。木瓜の花言葉はいろいろありますが、「平凡」です。ありのままでいること。毎日を迎えられること。震災の後、そういうささやかだけれども大切なことに気づかされます。季節はめぐり、花は咲く。そう思えば、笑顔になれるかもしれませんね。

春夏秋冬 花鳥風月 桃花流水 一陽來復

山里には、また春がやってきますように。

2011年3月27日日曜日

子供は一人で育つ

京都から大阪の実家へ帰る特急の中です。radiko.jpで地元FMを聞きながらこのブログを書いています。

京都の大学に通っている息子と久しぶりにご飯を食べて、いろんなことを語らいました。思っていたよりも、ふっくらとして「肥った?」って感じでしたが、元気そうでよかった。シュウカツは大変そうでしたが、いつの間にか親が思っているよりも大人になっているのだなぁと感じました。

一人暮らしの部屋もきちんとしていて、男の部屋としては清潔な方ではないでしょうか。親としては、なんだか拍子抜けするぐらいきれいでホッとしました。

近くの「美齢(めいりん)」という中華料理店で夕食をとりました。このお店は、こんなとこにお店はないでしょ!というほど京都らしい町屋の隠れ中華料理店だそうです。夕方は予約をしないと入れないという評判のお店。1ヶ月ほど前から予約を入れていました。向かい合わせで、とりとめもなく、話題はあっちにいったり、こっちにいったり。それがとても嬉しくて。彼はずっと緊張しているのだろうし、震災もあって、就職活動に漠然とした不安ももちろんあるでしょう。でも、こうして元気でご飯を食べてくれている。ああ。ありがとう。そんな気持ちがこみ上げて来ました。

美齢の近くにある、京都では有名なフランスパンのお店「ル・プチメック」で両親の分と彼の朝食分のクロワッサンとクロック・ムッシュを買いました。

「一人暮らしを京都でして良かった?」と聞きました。

彼は少し考えて、「震災があって、東京での就職はどうなんだろうと考えた。関西で考えている」と答え、「もちろん一人暮らしして良かったよ」と目の前の石焼マーボードーフを美味しそうに食べていました。

大人になったんだなぁ。知らない間に。

僕より頭一つ背が高い彼のことを、少し誇らしく思ったのです。

春の京都へ

東日本大震災からもう2週間あまり。災害の爪痕はあまりにも大きく、復旧・復興にはかなり長い時間が必要です。被災された地方の皆さんへ心からお見舞いを申し上げます。

休暇で実家のある大阪に来ています。実家の庭にあるさくらんぼの実を付ける早咲きのサクラは既に散り、いまはボケの花が咲いています。帰省するのは年に1、2度です。まだ両親とも元気でいますが、会うたびに時間が過ぎていくのがよく分かり、せつなばかりです。

息子が帰ってくるのが嬉しくないはずはなく、つつましい年金暮らしの中から、ごちそうをしてくれます。昨夜はすき焼きでした。札幌でも、そんな料理は年に1回あるかないか。親のありがたさが、今更ながらに身にしみます。

大阪は快晴。花粉がひどく飛んでいるようです。これから新しく出来た直行のバス便で、東大阪の布施から京都へ向かいます。シュウカツ中の息子を励ましに(?)行こうと思っています。彼は昨年の超就職氷河期に会い、捲土重来を期した今年は震災にあたる、なんとも厳しい環境です。でも、最後まで諦めずに最後の大学生活を過ごして欲しいと思います。美味しい中華でも食べて、ビールでも飲んで、語り合って。

新しく出来た大阪バスの京都特急ニュースター号、第二京阪道路を使って京都まで70分。大人料金(片道)850円。大丈夫かな。お客さんはあいにく僕一人です。

バスが動き出しました。両親からお茶の葉を使った京都名物の佃煮を買って来てくれるよう頼まれました。そういえば、東京からだったのでお土産も買うのを忘れました。

日差しが暖かい。季節は春。震災地も一日も早く笑顔が戻りますように。

2011年3月25日金曜日

ヨゼフさんを忍んで

新幹線で大阪へ向かって移動中ののぞみです。

きょうも快晴。寒さも少し緩んだでしょうか。
昨夜は、急逝したヨゼフさんを忍んで、赤ワインを飲みました。

まったく業界人らしくない方でした。剛胆にして繊細。九州男児でした。いつもオーラが出ていて、格好いい、ああ自分もこんなふうになりたいと思う大人でした。あまりにも「若い」死です。

お別れの後、棺が開けられてお顔を拝することができました。俳優の山崎努さんが、腰を屈めて、ヨゼフさんの頬をなでながら、なにか語りかけていらっしゃったのがとても印象的でした。僕も深々とお礼をしました。「これらからも作り続けていけるよう、どうかお導き下さい」と祈りました。

きょうから31日まで休暇です。東日本大震災でどうしようかと思いましたが、予定通りお休みを頂くことにしました。東京では早咲きのサクラがもう散っています。ヨゼフさんは、いつかキリストゆかりの地を家族と一緒に巡礼するのが夢だったそうです。あなたの魂がいつも御心とともにありますように。

もうすぐ、4月。

2011年3月24日木曜日

弥生の別れ

なんでしょうか。予感。あるいは虫の知らせだったのでしょうか。

本当はきょう夕方の便で帰ることにしていました。でも、昨日の夜、なんだか帰ってはいけない気がして、ホテルをもう一泊とることにしました。誰かに呼ばれたのかもしれません。

でも、きょうは普段通りで。それなのに、仕事は予定通りに終わりそうで。だったら、やっぱり、ホテルをキャンセルして札幌に帰ろうかと。

そう思っていて、次の打ち合せがあった原宿駅のそばで、携帯が鳴りました。もう10年以上おつきあいのある女優さんからでした。いやな予感がしました。

彼女の所属事務所の社長さんが急逝したのです。ここ数年体調がすぐれず、どこかお悪いのは知ってはいましたが、あまりにも急でした。

彼、と書いてしまいますが、とは10年以上のおつきあいがあります。初めてお会いしたのは、1999年の冬、札幌でした。ですから、もう12年のおつきあいでした。東京と札幌と離れてはいますが、年に一度は必ずご挨拶しに伺っていました。僕のドラマの師とも言える方でした。

連絡をくれた女優さんは、その翌年の2000年に僕が初めて作ったドラマのヒロインを努めてくれた俳優さんです。NHKの今年下期の朝の連続テレビ小説の主役に抜擢されたばかりでした。一番喜んでくれたのは、きっと彼女を見いだした彼でしょう。そんなお祝いごとを見届けるように、彼は旅立ちました。

彼はカトリックの洗礼を受けていたそうです。洗礼名はヨゼフ。
今夜は都内の教会で「お通夜」がありました。山崎努さん。小林薫さん。田中裕子さん。鈴木京香さん。風吹ジュンさん、樋口可南子さん。彼がかかわった俳優さんたちが弔問に訪れていました。

主の御元に。

本当に多くのことを教わりました。
僕のドラマチームを育ててくれました。
かっこいい、大人の男でした。

本当にありがとうございました。心から感謝しています。
これからも、作り続けることで、僕は頂いたご恩に報いたいと思います。

2011年3月22日火曜日

節電中

浜松町のホテルにチェックインしました。

羽田空港からモノレール。車窓の景色はいつもと変わっていません。ですが、モノレールの浜松町に着いて分かりました。とても暗いんです。コルトンって言うんでしょうか、中に照明が入っている広告ボードが全部消えています。乗客の足下だけ照らす照明があって、全体的に暗いです。節電中なのですね。

ホテルのロビーも照明が落とされていました。ブログを書こうとホテルの部屋からネットにつないだら、ヤフーのトップで東京電力の現在の消費電力が供給電力に対して91%だと表示されていました。

普段から出来ることかも知れませんね。「自粛」っていうのはボーダーラインがなくって、やったところがどんどん物差しになってしまう。昭和天皇がお亡くなりになった1989年がそんな感じでした。もう22年も前のことなんですね。

プロ野球でナイター自粛が話題を呼んでいます。普段通りのことは、普段通りすればいいと思います。別のことで、被災地や被災者の支援はいくらでもできるのではないでしょうか。このデフレで、人とモノの流れが滞ると負のスパイラルに入っていくような気がします。

とはいえ、明日の打ち合わせ。時間だけ決まって、場所がまだ決まりません。これも計画停電の影響でしょうか。ツイッターの情報では、23区内の交通機関は平常通りとか。遅くならないうちに、ホテルに帰ることとしましょう。

では、行ってきます。

Pray for JAPAN !

ふたたびの東京

出発時刻まで40分。

今、新千歳空港の出発ラウンジにいます。
東日本大震災から13日目。この3連休中に、死者・行方不明者の数が、警察が把握しているだけでも、2万人を超えてしまいました。一家で被害にあったりして、そもそも捜索願を出せない方は推定さらに2万人。文字通り未曾有の自然災害です。

福島第一原発の状況も厳しい状況の中、必死に冷却、封じ込めの作業が続いています。余震もまだ続いていますね。

東京も普段通りとは行かないのかもしれませんが、きょうからは自宅待機が解けた方々もいらっしゃることでしょう。こういうときには、普段していることを普段通りにやる方がいいのかもしれません。

きょうから24日まで東京出張です。いつも常宿にしている浜松町のホテルからは、前日確認のメールがありました。レストランも休業。朝食メニューも少なくなるとのことでした。避難所生活を余儀なくされている方々は20万人以上。それを思えば、ホテルにちゃんと泊まれて、ベッドがあること自体ありがたいことです。

何か特別なことをしようとするのも尊いことだと思うのですが、普段通りのことを普段通りにやる。そのことが、人やモノの流れを枯れさせないことではないかと思います。海外を含め、多くの国や人たちが「頑張れ、ニッポン」のエールを送ってくれています。

どんな状況の中でも、人は生きていくのです。
生きていくことが、明日を迎えることでもあります。

Pray for JAPAN !

被災地の上空を超えて行くことに、なんだか不思議な気持ちを感じます。

2011年3月18日金曜日

東日本大震災から一週間

東京・六本木。午後2時46分。3月11日(金曜日)。

あの日から8日目です。僕は翌日なんとかモノレールが動いていて、JALも飛んでいて、お蔭で札幌に無事戻ってこれました。ずっとあれから、テレビの前に釘付けです。

死者・行方不明者、合わせて2万人近い数字。
数十万単位の方々が、今も被災地の避難所で難儀を強いられています。
水がない。食べ物がない。ミルクがない。トイレもない。暖を取る灯もない。国家規模の災害で、支援を行う行政の側も大きな被災者と言え、小さなコミュニティまでなかなか救援物資ひとつとっても届かないようです。

あと、原子力発電所の事故。
やっぱり、大自然の猛威の前には人類の叡智は無力なのでしょうか。頑張れ、福島。発電所に残っている作業員の皆さん。自衛隊の皆さん。なんとか、このダモクレスの火を沈めて下さい。

札幌はきょうは快晴です。昨夜は吹雪きました。名残雪かもしれません。街中の生花でサクラを見かけて、思わず何か胸のつかえが下りた感じがしました。

日本中が極度の緊張状態。被災者の皆さんはどれだけのストレスをため込んでいることか。

Pray for JAPAN 3.11

祈ることの意味を考える毎日です。

2011年3月12日土曜日

巨大地震

東北地方を襲った巨大地震から一夜明けました。被害の拡大が次々と明らかになっています。きのうの発生時。僕は六本木にある建物で会議中でした。自分のプレゼンテーションが終わって、次の方が用意をしていた時でした。大きな揺れを感じました。天井の照明がぐらぐら揺れて。思わず、iPhoneの動画機能を立ち上げて撮影していました。

そのうち、震度7という情報が入って来て、全員騒然となりました。会議はもちろん中止。

iPhoneのGPS機能を使って、六本木から徒歩で浜町町へ向かいました。地下鉄もJRも動いておらず、時折バスが走っている程度。タクシーはつかまりません。ほとんどの人が歩いていました。

ようやくホテルにたどり着きました。「きょうはもう部屋を出ない方が安全だろう」そう思って、近くのコンビニに行ったのですが、ほとんど食べるものはありませんでした。お菓子もなし。皆さん、ちょっと殺気立ってて怖い感じ。その後、ずっとテレビに釘付けでした。

モノレールは動いているようです。羽田も大丈夫みたいです。
午後の便で札幌に帰ります。

2011年3月11日金曜日

シングルマザーズ

おはようございます。

いやはや。ついに花粉症でダウンです。副鼻腔が腫れて、眠りが浅くてすぐ起きてしまいます。現在時刻、午前5時42分。昨日も同じくらいの時刻に目が覚めました。これでは体調が狂ってしまいますね。うーん、これは予想外。

昨日は池袋にある東京芸術劇場で上演中の「シングルマザーズ」を観て来ました。
劇作家の永井愛さん率いる劇団、二兎社の結成30周年の記念公演です。名前からお分かりのように、設立当初のパートナーは現在脚本家として活躍する大石静さんです。昨年話題を呼んだ「セカンドヴァージン」は、大石さんの手になるドラマです。

兎年生まれの二人。結成して10年後には、お互い目指すものが違って来たと、永井さんは演劇へ。大石さんはテレビドラマへと違う道へ進むことになります。

永井さんとは、ちょっとした接点があります。2004年ですからもう7年も前の頃。「新・明暗」(主演は佐々木蔵之介さん)という舞台で札幌にワンステージだけですが、来られたのです。僕が永井さんのファンだったこともあり、地元の演劇鑑賞会さんに働きかけて、公演の宣伝やポスター貼り、当日の制作のお手伝いなどをしました。

当日僕は公演場所の許可を得て、楽屋でジンギスカン鍋(焼くのではなく、煮るやつ)をして、佐々木蔵之介さんたち役者さんや、永井さん始めスタッフの皆さんをもてなしたんです。ジンギスカンのいい匂いが、ホワイエまで漂ってそれはそれは(笑)。

打ち上げのお店のセッティングも僕の担当で、知り合いのラムしゃぶのお店に頼んで、安くしきりました。

永井さんは受付にいらっしゃって、「ああ!四宮さーん!」と覚えてくださっていて、とても嬉しかったです。お芝居もとても良かったです。主演は沢口靖子さん。沢口さん、映像以外では商業演劇の方という印象がありますが、なかなか粘っこい芝居をしていて素敵でした。

こうしてブログを書いていて、午前6時。
このホテルの最上階にはお風呂があるのですが、朝風呂に入ってこようかな。少しは副鼻腔が楽になるかも。

2011年3月10日木曜日

欅の木が見える場所

東京出張3日目です。

花粉にやられています(泣)。
早朝に鼻が詰まって起きてしまったり。しかも、今年は例年よりも多いそうですね。ホント、東京人の方が気の毒です。

ちょうど今、午後4時からあるセミナーの前で、少し時間が空いたので、タリーズに入ってこのブログを書いています。

ちょうどお昼には原宿にいました。友人がきょうオープンしたばかりの、本店が鎌倉にあるお蕎麦屋さんに連れて行ってくれました。ビルの中になるのですが、お店からは原宿のシンボルツリーである欅並木が見えました。5月くらいには新緑が眩しいそうですね。お店の名前も「ケヤキ」なんですよ。

とても美味しいお蕎麦でした。辛口の純米酒をグラスで頂きました。

いいですね。原宿っていい街だなぁ。

2011年3月9日水曜日

女優さんとの出逢い

こんばんは!

今夜も東京です。ホテルの近くに、以前から気になっていたリストランテがあったのですが、ようやく食して来ました。ホテルの周辺は「イタリア街」と言うそうですが、それらしい雰囲気も乏しくとても残念に思っていました。

きょう行ったところは、イタリア専科ではありませんでしたが、イタリア+スペインって感じ。ワインのセレクションもカリフォリニアや南米、オセアニア含めて意外性もあり、美味しかったです。

NHKの朝の連続テレビ小説。今年度下期の「カーネーション」のヒロインに、尾野真千子さんが決まりました。尾野さんは、僕が初めてプロデュースしたドラマ「ひかりのまち」のヒロインを演じてくれた女優さん。当時は高校を卒業して東京に出て来たばかりの18歳でした。

実はきょう、彼女と久しぶりに会うことができたのです。

今年30歳を迎える尾野さん。
素敵な女性に成長していました。

一期一会、という言葉があります。11年も前。まだ無名だった彼女を、僕は自社制作ドラマ第一作のヒロインに抜擢しました。きっと、普通のドラマプロデューサーだったら、出来なかったことだったと思います。

18歳だった尾野さんが見事に演じてくれたように、今回も間違いなくヒロインを生きてみせることでしょう。

もっと出来る。もっと上に行ける。
見てるぞ、マッチ!

三月の東京

おはようございます。

昨日から東京に来ています。

僕が来る前日は雪だったそうですね。
札幌も雪解けが進んで、「ああ、このまま春になるのかな」と思っていたら、やはりどか雪が降りました。札幌の一晩での積雪は実に92㎝!夜と朝と、また夜に雪かきをしなくちゃだめでした。

この時期、東京に来てしんどいことに「花粉症」があります。
なんでも今年は去年の3倍以上の花粉が飛ぶんだそうで。
インフルエンザが流行っていることもあって、東京もマスクをつけた方が目につきますね。

用心のために(と言っても気休めにしかならないのですが)、羽田でアレルギー性鼻炎の薬を買いました。昨日はとあるセミナーに出ていたのですが、登壇された方で花粉症なのでしょうか、くしゃみを何度か我慢されて、スピーチが何度も途中で止まるハプニング(?)もありましたね。この時期の東京はしょうがないよね。

表参道の伊豆の魚を食べさせるお店「やんも」で、春の味覚を満喫しましたよ、昨夜は。スタバに立ち寄って、フラペチーノ片手に少しおしゃべりして、東京の友人とは分かれました。

そろそろ寝ようかと思っていたら、NHK「プロフェッショナル」が始まって、最後まで引き込まれて観てしまいました。異色の中華料理人のお話。なんかよかったなぁ。

もっと出来る、上に行ける。

衰えることのない向上心。自分の理想の味を追い求める姿は、プロの鏡のようでした。

今、ホテルの窓のカーテンを開けました。

きょうも東京は晴れですね。
コートも2種類持ってきましたよ。
3月の東京は荷物が多いね。

では、きょうも一日、いい日でありますように。

2011年3月1日火曜日

札幌へ戻ります

東京支社でこのブログを書いています。

きょうも寝坊しました…。
せっかくホテルは朝食付きパックなのに、食べ損ねました。
昨日も遅くまで本を読んでいたんですね。

出張先に本は欠かせません。
寝る前にブログを書いたり、メールの返事を書いたして。
ベッドに入ると、お気に入りの一冊を持ち込んで眠くなるまで読むんです。

金子光晴の「絶望の精神史」。何度も読み返す名著です。
きっかけは、2004年に制作したスペシャルドラマ「六月のさくら」で、ヒロイン(大塚寧々さん)のお姉さん役を演じていただいた中村久美さんから頂いた本なのです。

金子光晴と名字違いですが井上光晴なんかも好きです。井上光晴の娘さんは、かの井上荒野さん。荒野さんも大好きな作家です。日本の作家で一番好きなのは、学生時代から読み続けている村上春樹でしょうか。

打合せが早く終わりました。
もう少し仕事してから、羽田に向かいます。
札幌は、最高気温が2℃だそうです。

きょうから3月。東京ではもうお店の生花にトウカイザクラが出回っていますね。

はやく春になあれ。

麻布十番にて

先ほど麻布十番から地下鉄でホテルに帰ってきました。

JALのグローバルクラブの会員誌で紹介されていたフレンチの新しいお店、オルタシアに行って参りました。地下鉄大江戸線・麻布十番駅7番出口から徒歩5分。

地上へ出ると六本木ヒルズも遠くに見えます。
六本木は僕の年齢ではちょっと厳しい街になってしまいました。
まだ西麻布。もっと遠くへ麻布十番。
東京らしい町並みが残っていて、夜のそぞろ歩きも風情があります。

地下にあるお店で、看板も小さいんです。
なのに天井がとても高くて素敵です。

知り合いの演劇ライターの彼女を誘いましたよ。
お芝居の話を聞きながら、軽めのカリフォルニアワイン(オレゴン産ピノノワール)を一本空けました。メニューはプリフィックスの方をチョイス。前菜・メーンを4つチョイスできます。僕はマグロのサラダ、テナガエビのスープを前菜に。メーンには穴子と真タラの白子、それに鹿肉を選びました。もちろんデザートもね。

彼女は一皿来るごとに、「凄い!」と言って、デジカメで写真を撮りまくっていましたよ。僕もワインのラベルだけ記念に撮影しました。

誰かと一緒にご飯を食べるのは楽しいね。
二次会は、駅の方に戻りながら雰囲気のよいお店があったので飛び込みで。
KOTATSUという焼き物のお店。ちょっとシモキタにありそうな店構えがオサレ。生姜サワーがとても美味しくて2杯も飲んでしまいました。

地下鉄の駅で、彼女は僕を見送ってくれました。
明日はまた東京支社でミーティングです。
夜の便で札幌に帰ります。

ありがとう。食べることは基本。
誰かといることは楽しい時間をシェアすること。
Be Happy !