2013年2月23日土曜日

最近、思うこと。

Team,

 昨年のバースデーでめでたく55才となり、いわゆる「定年」まで5年になった。法律の改正で65才までは働けるし、働かないと食うに困るが、60才で会社はいずれにしても退職することになる。退職金は現金支給なので、ささやかだけれでど23才でこのテレビの世界に入って32年間、お疲れさま!と祝えるくらいのお金は頂けるだろう。その後の5年間は、いわばおまけのようなもので、時給制の会社もあるくらいだからとてもモチベーションが働くとは思えないし、そういう自分にもなりたくはない。もう企業人として十分以上のことはしたはずなのだから。

 そう思っていたけれど、それがなんだ、と思うようになった。多分、二つ理由がある。一つは2011年の東日本大震災。普通に暮らすこと、幸せの尊い意味を知った。もう一つは、やはり55才になって、事実上の現役が5年しかないのなら、せめて30年以上メディア人としてこの世界にかかわってきたナレッジやスキルやインサイトを社会に役立てたいと、しみじみ思うようになったからだ。

 自慢にはならないが、家庭を顧みない仕事依存症の人間だった。テレビの世界には、そうしたスリリングな自己実現の宇宙が広がっていて、幸いにも僕はその神様の後ろ髪の一本くらいはつかんだと思っていた。でも、それは誰も幸せにはしなかったように思う。確かに、自己実現は出来たかもしれない。高いサラリーをもらって家族にひもじい思いは一度もさせなかったし、DVも起こさなかったし、ギャンブルやアルコールの依存症にもならなかった。でも、仕事依存症だった。僕は、僕の家族は人並みだと思うが、「とっても幸せだよね」とはきっと言えないと思う。

 どうにかして、社会とのかかわりを持ちたいとここ数年考えていた。でも、実際ボランティアとはやってみると距離感がつかめなかった。何かの役に立っているのだろうかと。でも、大切なのはそう実感できるかどうかじゃなかった。誰かを想い、それを形にすること。それが、この世界とかかわり、なにかより大きなものの一部になることだと気がついた。僕はそうとう鈍感な人間だったようだ。

 まだうぶ声を上げたばかりだけれど、若い人たちと「しゃべりば場」というか、ワールドカフェのような、あるいはミニTEDのようなセッションを始めた。札幌にもTEDサロンがあるのは知っていたが、このまえウェブサイトを見たらサポートスタッフ(当日のボランティアではない)を募集していたのでエントリーした。3月中旬にオリエンテーションがあるらしい。英語でスピーチなどさせられなければいいのだけどね(笑)。
 あと一つ。これは前から誘われていたし、ずっと長く作り手にいたテレビマンとして入りたかった「放送人の会」。普段はライバルだけれど、札幌テレビにいらっしゃる大先輩に推薦をお願いして入会を申し込んだ。英語で表記すると、Television Creators Society of Japan。現場の制作者の集まり、ということか。現在、会員は200名ということだが、まあ、神様とか、巨匠とか、大先達とか、キラ星のような大先輩がひしめいている。55才の僕など、多分使いっ走りだろう。でも、そこから始めよう。

 1981年。憧れていたテレビの世界に入った。でも、一年間はなにもさせてもらえなかった。「見ていろ」だだそれだけ言われただけで、朝一番に来て、デスクや先輩たちの机を黙々と雑巾がけする毎日だった。昼休みは1時間ちゃんとあるはずなのに15分で食って戻ってこい、と言われ外食しにいく同期たちが羨ましくてしかたなかった。でも、そうやってただ見ていたから見えるものがあったし、どんなに追い込みになったり、大事件や大事故でパニクった状況になっても人より平静でいられるようになっていった。そんなある日、虫の居所が悪いとすぐ僕の顔や頭をスリッパで叩いていたボスがこういった。

「きょうからお前が(ディレクター)卓につけ。卓につけばお前が指揮官だ。全部責任をとるんだ」

 使いっ走りで終わることもあるだろう。でも、草鞋取りから天下人になってご仁もいるではないか。

 もう一度、始めたい。いつも初心で。



 

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