2011年11月23日水曜日

息子へ、娘へ。そして妻へ。


晩秋の京都は、それぞれに自らの信じる道を進もうとしている私たち「家族」にとって、ひときわ熟した紅のように、赤く美しかった。紅葉の真っ盛りである。とにかく驚くほどの人出であった。嵐山の渡月橋は、底が抜けるのではないかと思もう程、黒々とした人だかりの山を載せていた。

「危ないから、やめようよ」

妻がそう言ったほどだった。私たち四人は観光名所として余りにも有名な渡月橋を避けて、保津川沿いに豆腐料理で有名なとあるお店へと足を運んだ。この保津川沿いには、日本で一二を争いほどに美味い天然鰻を食わせる店もあるらしい。さすがは「結界都市」京都、奥が深い。いくらでも、深堀りできるのだ。

予約してあった席は、保津川の流れと紅葉を借景にした瀟洒なしつらえであった。こういう場所に、肉料理は相応しくない。あくまで淡白、つまりシンプルでありながら、無限の奥行きを感じさせる大豆の素晴らしさ。京野菜の数々。文句のつけようもない。僕と娘が隣り合わせとなり、向こう側に妻と息子がいた。

話は尽きることなく、汲めば汲むほどに味わい深く、私たちが「家族」という共通の分ちがたい記憶でつながっていることを感じた。しんしんと感じた。

息子は来春に東京で社会人としての第一歩を踏み出す。厳しい就活であったようだ。僕に似たのか、自分について多くは語らない。だが、一年前、あれほど苦しんでいた彼の痛々しいまでの悩んでいた表情は微塵もなく、穏やかによく笑った。つられて娘が笑い、妻がつっこみ、そして僕が最後につらなった。

社会人として既に一度転職も経験している娘がしきりに僕の様子を気にしていた。なにかいつもと違うと「本能」で感じたのかも知れない。どこまでも明るい性格の娘である。僕が3年前、心を病んで倒れた時も、ありのままを受け止めてくれた強い娘だ。娘の眼差しの気配を感じて、無性に嬉しかった。

「ああ、気にされているのだ。父親だから」

その瞬間、私たち四人は一本の樹木のようだった。ゆさゆさと小さいけれど、多くの葉を揺らして、温かい振動が深く、奥へと伝わっていった。親から子へ。夫から妻へ。また、子から親へ、そして妻から夫へと。つまり、人として響き合った。穏やかに。

日常性とは、レイモンド・カーヴァーが言うように、こうした”ささやかだけれども大切なこと”の積み重ねの上にしかない。It is a life at all.

だからこそ、日々は美しく、尊く、噛み締めて味わわなければ損だ。向田邦子は言った。「家族とは一番やっかいな他人」と。それは真実である。だが、向田邦子はこうも言いたかったはずだ。「だからこそ、愛おしい」のだと。

嵐山の禅寺として名高い天龍寺の紅葉はどんぴしゃりだった。あいにくの曇り空だったが、かえってディフューズされた日光が、柔らかい質量を持って、生きる者たちである全ての葉や木に降り注いでいた。

その、どちらかと言えば「暗部の階調の再現性」に似た深い味わいが、しばらくはこうした共通の時間を持てないであろう、私たち「家族」にとって、とてもお似合いのような気がしていた。

毎日はほろ苦く、そして甘い。





2011年11月19日土曜日

5席だけのマジック

大きなコトには、小さな成功の秘密がある。

ルミエールペティアンという純国産のスパークリングワインをご存知だろうか?
通称「ペティアン」。国内最強と言われる山梨県勝沼ワイン郷から車で約10分。
笛吹市一宮町南野呂にそのワイナリーはある。創業は実に1885年。
もちろん、ワインを作っているのだが、スパークリングを世に問うたのは、なんと2007年ビンテージ。初号(市場には出なかった)は2006年。フランスから超がつく一流の目利きを呼んで、出来映えを評価してもらったのだ。結果、フランス人たちは「なんてエクセレントな!」と驚愕して、ぜひ世の中に出すべきだと言ったそうだ。


2007年、そのスパークリングは世に出た。残念ながら2,000本限定ということもあって、この世の中にはもうない。ルミエールペティアン。現在の皇太子夫妻の結婚式にも供された、由緒正しい皇室御用達でもある。


ワイナリーの方の話によれば、こういうことだ。


「この葡萄は弱いのです。だから樽熟(樽で熟成させる)というコルクキャップを運命づけられているスパークリングにとっては、とても難しい選択肢を敢えて選びました」


僕はワイン部部員であるけれども、この言葉の意味は正直分からない。


でも「直感」で凄い!と思える。


きょうから久しぶりの家族旅行で、息子がいる京都に来ている。彼は2012年4月には
東京で働くことになっている。ので、まぁ、”最後”の家族旅行でもある。


就職祝いにワイフが選んだお店はわずかカウンターで5席だけのフレンチだった。
LE SINGE. ル・サンジュという。








素晴らしいお皿の競演だった。とても素敵な「食べて語らう」という場があった。


シェフ一人にやれることを、ただ誠実にやっている。
そのことが、人を感動させる。主客一体。利休が辿り着いた「真理」だ。


今夜は四宮家4名が夜の営業時間帯を独占した。席は1席空いているのだが、店主は
それを他の客のためにリザーブすることはない。


店主は、こう考えるからだ。


カウンターでわずか5席。カップルで来ると真ん中の1席は空けておく。
カップルと3人組だったらどうしよう。会話の合わないお客様が来ることだって
あるだろう。その時だ、店主は祝宴を主催する「主人」として、客同士の会話を
プロデュースする。一皿の素材、味わいをめぐって、見知らぬ者同士がダイアローグを
始めるのだ。それは三浦友和さんの本ではないが説明のできない「相性」というものあるだろう。英語でいうChemistryだ。だが、そこには幸せな「場」がある。


5席のマジックだ。


僕たちもぜひこうありたいと思う。


ルミエールペティアン。日本が、日本人が世界に誇る「国産」。
これこそMADE IN JAPAN。モノ作りの原点がある。


現在のビンテージは2009年。ブラン、ルージュ、オーランジュと3種類の味わいが楽しめる。
山梨まで行けない人のために、インターネットでも販売しているし、都内には
とても誠実な国産ワインショップを運営している。


僕が知る限り、ペティアンを飲めるのは資生堂パーラー銀座本店の改装なった、素晴らしい
レストラン、FAROだけだと思う。


おっと、忘れていたLE SINGEはフランス語で「猿」だ。


Stay Hungry, Stay Foolish.


大きくなることを選ばない。京都のフレンチとしてより本質的なところへ辿り着きたい。
「猿」を店名に選んだ店主は京都っ子ではない。


つまり、イノベーションは「辺境」から来たのだ。
正しい時と、正しい場所を選んで。











2011年11月16日水曜日

ReBorn, again 〜In Vino Veritas〜

Team,

きょうはもう11月16日だ。東京のタクシーの運転手さんから聞くとは思わなかったが、昨夜札幌は初雪を迎えたそうだ。First Snow.正しい翻訳かどうかは、この際問題ではない。本質として、Firstであることが必要だ。かの札幌が、北海道が生んだグローバルアイコン、初音ミクの「初音」とは、First tone、つまりこの世界に生を得たヒトが聴いた初めての音。人類が聴いた初めての音という意味がある。そして「ミク」は「未來」だ。つまり、First tone=future. なんて素敵な方程式だろうか。

だから2日前のことになる。

僕はもう一度、ReBornした。

一度はThe Universeによって、そして今度は自らの力で己を再定義した。
そして、生まれ変わった。まったく新しい価値観を得た、つまり真理に辿り着いた。

冗談なんかじゃない。確信しているのだ。僕は、イノヴェーションフェーズに入った。そして、ヒトの進化の方向として正しくニュータイプになった。

来月15日、僕は54歳になる。テレビマンの卒業まであと6年。
だと思っていた。だが、決定的に誤っていた。

僕は表現者だった。

だから終わりがなかったのだ。僕の人生時間が尽きる、その瞬間まで。

僕は、Jobsの言うCrazy Onesの一人として、この世界のクラウドセンターに参加する。
自ら関与するものとして。

僕はもう評価を求めない。
自分自身という尺度も捨て去った。

あるのは、より大きなパブリックに仕えること。

死が僕の存在を終わらせるその瞬間まで、僕はより大きな表現に辿り着きたいと願う。

より大きな表現へ。より大きな何かへ。

mass mediaではなく、a bigger mediaとして。
世界を前に進める。人類を前に進める。

そのための日常性に仕えたい。誠実に。人として。

家族として。チームとして。

そのコトを知り、この言葉の重さを知った。

In Vino Veritas. ワインの中の真理。

そう。一杯のワインの中にこそ、真理は、宇宙は、The Universeはある。

きっと、生きるということも、つまり一人の人生もそうであるはずなのだ。









2011年11月12日土曜日

「本質」と「必要性」についての考察


FURANOに滞在していた時の話だ。朝食は光の入る美しい場所だった。自然光を採光しているのは素敵だと思った。残念ながら曇りだったが、それも一興。パティオに植えられるいるちょっと名前は分からなかったが、小ぶりな樹木は美しく紅葉していた。

朝食はシンプルな和食又は洋食のセットから選ぶようになっている。大抵、僕は和食を選ぶ。多分、年齢的なものだろうと思う。朝からハムや目玉焼きはちょっと…。という年齢になってしまったのだ。炊きたての御飯があり(最近、北海道米の旨味向上には敬意を払う。函館産のふっくりんこはとても美味しい。北海道米のエースではないだろうか?)、温かいお味噌汁がある。もうそれだけで、心和んでしまうのだ。

本題からそれてしまった。よくあることだが、飲み物はご自由にというビバレッジフリーが結構流行っている。このFURANOのホテルもそうだった。富良野の水はとても美味しい。まずは「水」。それと「白湯」を頂いた。あとは「アップルジュース」。そして地元産の新鮮な「牛乳」。以上、僕のチョイスは4つだった。コーヒーはないの?と訊いたあなた。実に良い質問だ。最近、とんとコーヒーを飲まなくなった。美味しいと感じなくなったのだ。これは正直に告白する。もちろん、レストランで食後のお飲物は?と訊かれたら、それはエスプレッソなどと頼みますよ。でも、フリーで飲めるコーヒーはまず美味しくないのでパス。スターバックスやタリーズでも、僕はフレッシュジュースかスムージーを注文する。会社のオフィスにあるコーヒー、なんて論外。でも毎月のお茶代は3,000円支払っている。

また本題が逸れた。そう「新鮮な水」「白湯」「アップルジュース」「フレッシュミルク」が僕の座っているテーブルに並んだ。僕は考えた。この中で本質的なものは誰だ、と。やおら、「水」が入ったグラスを取ると、テーブルの一番左に置いた。さて、次は間違いなく「白湯」だ。そして、本質的なものはこの2つしかないことに気づいた。「アップルジュース」や「フレッシュミルク」が本質的ではない、と言っているのではない。が、本質からは遠く、彼岸にあるものたちだと言えるだろう。だって、アップルジュースがなくたって、フレッシュミルクがなくたって、とりあえず人は困りはしない。

「じゃあ、これは本質と対の側にあるものだ」とまた例のように独り言を良いながら、さて、「ジュース」と「ミルク」はどちらがより本質から遠いのだろうか?と思いを巡らせた。そして、「アップルジュース」を3つ目のグラスとして並べ、「フレッシュミルク」の独特のフォルムをしたそう牛乳瓶を一番最後に置いた。

下手からの並びは以下の通りだ。

「新鮮な水(氷等で冷やさなくても適度に冷たくて美味しい。かすかな甘みが感じられる)」「白湯」「アップルジュース」「フレッシュミルク(牛乳瓶)」

そして、少し考えた後、「水」と「白湯」をお互いに寄せ、「アップルジュース」と「フレッシュミルク」をお互いに寄せてみた。するとどうだ。二つのグループのように分かれてしまって、「白湯」と「アップルジュース」の間には”埋めがたい溝”のような空気感が立ち上がっていたのである。






「うーん、こういうことなのか」と僕は唸った。

その瞬間、コトは起こった。
僕は自分の生理に従って、本能に従って、直感に従って、「白湯」を飲んでいた。そして、そのちょと適度に温められた水が、体の全身の細胞に染み渡って行く快感にもだえた。

「あーふっ….」

そこには、ああ、これで助かったと、命を救われたと感じたであろう、戦国時代の戦で傷ついた一人のサムライの気持ちとつながったような感覚があった。僕は疲労していた、覚醒し、自分の意識から全くアンコントーラブルとなって勝手に革新していく精神に戸惑っていたからだ。

「これは何だ….何なんだ….」

そして分かった。僕が「白湯」を飲んだ理由が。
それは「必要」だったからだ。とても必要だった。憔悴している僕の肉体性にとって、今必要なのは、水ではなかった、一杯の白湯だったのだ。

本質は必要に再定義される、のだ。

朝食中、僕は5回ほど白湯を取りに行き、最後にアップルジュースを先に、フレッシュミルクを最後に飲んだ。牛乳瓶である。紙の蓋を開ける。いやいや懐かしい。

そして、「ごちそうさまでした」とテーブルを離れた時、「新鮮な水」はひと口も飲まれず、ちょうどいい感じに曇天の、つまりディフーズされた光線が差し込むテーブルの上で、ひとりぼっちのように見えた。

「ごめんな、おまえ」

僕はそういって、ホテルの部屋へと戻って行ったのだった。

「本質」が人をつなぐ。絆理論β。

For TEAM,

24時間以上、覚醒している。ちょっと、しんどいが大丈夫。
よく持つ肉体性を持ったものだと改めて思う。両親に感謝。これぞ、DNA。

FURANO、つまりフュラーノォの「本質的」に正しいホテルで見つけた象徴論の話の続き。と思っていたら、そのホテルの専務様から丁寧なメールを頂いた。ご承諾を頂けたので、引用させて頂きたい。優れてソーシャルとして正しくエンゲージメントしていらっしゃる。


NATULUXは お客様に”?”を感じて頂けると 大変うれしいです。
NATULUXは富良野駅前にて 創業80年になります。わたくしで4代目となりまして
2007年春に
デザイン・総合プロデュースは近藤康夫氏  
サインは廣村正厭氏 
キャッチコピーは三井浩氏 
設計施工は大成建設
皆様のご協力でオープン致しました。

コンセプトは「ナチュラルでリラックスできる空間のご提供」です。ハードはハイクオリティなデザイナーズホテル、ソフトは富良野の素朴なおもてなしで、お客様をお迎えいたしております。

アプローチ木製のドアは 入り口がどこ?と迷われるお客様もいらっしゃいます”?”
→スタッフが自動ドアまでお迎えいたしたいです
フロントのreceptionの石は どこの石”?”
→富良野の空知川の上流から・・・→自然に触れ 自然をお伝えしたいです
spaのロッカーはなぜ 全てに扉がないの”?”
→なぜ?を楽しんで頂きたいです。キー付きをご利用になりますか? キー無しをご利用になりますか?
表示はどういう意味”?”
→yellowのY、redのR blueのB greenのGと遊び心です。

五感にやさしいホテルも目指しております。
視覚...洗礼されたデザイン空間に間接照明
触覚...清潔なリネンと清掃
聴覚...風の音・鳥のささやき・朝のオルゴール・JAZZのBGM
嗅覚...アロマの香
味覚...富良野の新鮮で安全な大地の恵野菜や北海道産の食材でのお料理のご提供

片廊下の館内ではお部屋からは 十勝岳・大雪山連峰を、廊下のガラスからは芦別岳や北の峰スキー場をご覧頂き 雄大な自然の中に 身をおいて頂きたいたいです。

(中略)

スタッフとの会話を楽しんで頂けるよう サインも少なめです。
まだまだ発展途上のところもありますが スタッフとともに精進しお客様をお迎えしています。楽天やじゃらんのクチコミは たくさん頂きまして評価はたいへん嬉しく 時には厳しくもありますがNATULUXに感心を頂くことは 励みでございます。
長くなりまして恐縮いたします。 読んで頂き ありがとうございました。



感動した。これだけ精緻にコミュニケーションを設計して、ブランドに落としている。人として、正しいエンゲージメントで。これは凄いよ。チームは正真正銘、一流だ。このホテルが正しいローカリティで動いていることが奇跡。ホスピタリティも実に控えめ。だが、キャスト(宿泊客)がエンゲージメントを求めると、さすがにフュラーノォは違うなぁ、という実に田舎風で、家族的なもてなしを表してくれる。実に快適である。早速、返信をしたためた。

I quote as follows;

いつもお世話になっております。
ご丁寧なご返信をありがとうございます。

9つの脱衣カゴの謎。

それも一つの答えですね。
G=Green
B=Blue
R-Red
Y=Yellow

位置関係を見ると、もっと本質が見えて来ます。

なぜ、Gは一番上の真ん中か?
なぜ、Bは二段目の下手なのか?
なぜ、Rは二段目の上手なのか?
なぜ、Yは一番下の真ん中なのか?

「十字架」のようにこの英大文字(キャピタルレター)をつないでみましょう。

G-Y
B-R

おお!これは色彩学で言う「補色」の関係にあります。
つまり、

緑-黄色
青-赤

緑は瑞々しい新緑を。黄色は実りの豊穣の色。青は大きな空を。そして、赤は真っ赤な太陽を、日差しを。どれもが、北海道の価値の核心であり、この大地の神々しいまでの本質です。

それらがクロスする場所。つまり9つの脱衣棚の「ど真ん中」はオープンに、世界に、宇宙に開かれているのです。何たる意匠。何たる哲学。

僕はこう読みました。
G=Giant, Great
B=Brand, Business
R=Reality, Royalty
Y=Yes, Yankee

そして、気がつきました。
表象として、

G≒Y
B≒R

そして、交わる場所はオープン。つまり宇宙の核心だと。

僕は躊躇なく、Bを選びました。
理由は説明できません。つまり、直感で選んだからです。

ちなみに、僕が脱衣場で感動に震えていたとき、先客(NZから来た男性です)が湯船から
上がってきました。ので、彼に尋ねてみたのです。

「この大文字は何を意味していると思う?」

NZ男はこう答えたのです。

G=Giant
B=Brand
R=Reality
Y=Yankee

と。

「ほら、ちょっと離れてみると十字架に見えるだろう。だから僕は、真ん中に衣類を放り込んだのさ」とさも当たり前でしょう、と言わんばかりに言って、全裸のまま、ドライヤーを使い始めました。

凄いですね。WHY?

素敵過ぎです。

数年前「Start with Why」という著書を出したSimon Sinekはこう言っています。

人はWHYに動かされると。


このホテルを再定義された試みに、チームに敬意を表します。
僕の隠れ仕事場にさせて下さい。

ホスピタリティも素晴らしい。とても控えめで。
愛を感じます。いいね!

ありがとうございます!

心を込めて。

尊敬を込めて。

Furano Natulax HotelのTeam,へ。






2011年11月9日水曜日

より「本質」へと向かう時代

今、人間ドックのためさるクリニックの部屋でこれを書いている。明日朝に、毎年の儀式のように胃カメラを呑み、「慢性胃炎」と診断される。そう、もう10年もそういう日々が続いている。

KYBERという国産初のクラウドノートをご存知だろうか?詳しくは検索して頂きたいが、僕にとっては、このノートというには、あまりにUIが悪いと思えることが、最大のメリットになっている。

FURANOにいたと書いた。そこにあるM電器に閉店間際に駆け込み、ICレコーダーを買った。もうiPhone3GS時代から使っているHT Recorderという編集も出来る優れもののアプリだったが、僕の要求水準に耐えられなくなったからだ。つまり、僕はいま独り言の塊であり、妻からも「くわばらさん」(つまり近づきたくない)と言われるほどNUTSだ。

ICレコーダーには別売りだがマイクロフォンが付けられる。そして、音声自動認識にしておくと、しゃべれば勝手に録音する。4Gを内部メモリーに実装しているらしいが、それでは足りない(つまり、消すつもりが無いから)とマイクロSDカードの最大容量である16Gを買って、付け足した。つまり合計20Gである。音声ファイルが標準的にどこくらい食うのかは正直知らない。だが、最低でも30分は独り言状態になる。つまり、神憑るのだ。

それは、妻でなくても「くわばらさん」だろう。

だが、僕はより「本質」的な手段も併用することにした。言葉は、つまり音声は自分自身の耳で聴くので、「言語化」され、つまりオーラルデータとなって脳に刷り込まれる。英文を声に出して読めとは、そういうことだ。2足歩行になった人は「手」を無限にスケーラブルにした。「手」と、つまり書くという行為、さらに自分の書く文字をヴィジュアル化しつつ、音に出して「言語」としても刻む。これは効かないはずがない。

どんなところでも、書ける。それがKYBERのサイズの秘密だと思うのだ。決してクラウドに上げたりしなくてもいいと思う。KYBERの凄さはぜひ検索して調べて欲しい。実に「本質」的に美しいノートでもある。

僕はいま、なにがより「本質」なのかを考え続けている。問い続けている。WHY? と。WHY? WHY? WHY? Simon Sinekも言っている。人はWHYに動かされる、と。

普遍性ではない。普遍性は時代や権力者によって変わる。つまりフェイクだ。例えば、ドラマや映画の本質は、決して「普遍性」に辿り着けたかどうかではない。「本質」という、言語に支配されていない、核心中の核心(以下、Kernel:カーネルと呼ぶ)に届いているか、いないかなのだ。カーネル。そこに本質はいる。そして、世界どころか、宇宙の中心で叫んでいる。「おーい、僕はここにいるぞ」と。

長くなりそうなので、スフィンクスではないが、問いを出したい。ただし、これは頓知でも、ましてや心理テストなんかではない。僕の、あなたの本質を見る事が出来る究極のクエスチョンだ。正解はない。ので、間違いもない。ので、罰ゲームもない。だた、あなたが曝け出される。本質的に。

問い。

あなたは今、温泉宿に来ている。豪華にも天然掛け流しだ。さて、脱衣場に入ってみると、9つのボックスが、なぜだか教会のような神々しさでたたずんでいた。9つのうち、鍵のかかる、つまりロッカーは4つだけ。あとは、身も蓋もなくオープンに脱いだ衣類をただ入れる脱衣カゴが置かれているスペースになっている。

さて、先ず最初の選択を迫られる。生まれた時の姿になるのだ。おっと、いけない、iPhoneまで持って来てしまった。いや、これは無視してもらっていい。あなたは、ロッカー派だろうか。それともオープンに脱いだものを脱衣カゴに突っ込む派だろうか。

脱衣カゴ派は離脱していただこう。あなたは「本質」には辿り着けない。つまり、この脱衣場という小さな宇宙の中では。という意味だが。

ロッカー派の皆さん。鍵のかかるロッカーは4つ。皆、同じ色であり、特に付加価値を感じる何ものもない。ただ、建て付け上の位置が違うだけだ。

と思ったその瞬間。決定的な違いを見つけてしまった。ロッカーの扉には、まったく主張していないのだが、つまり「歌って」いないのだが、ある個別のアルファベット一文字が木工用ボンドか何かで貼付けられていた。次のレターである(関係はないが大文字だ)。

一番上の列の真ん中。"G".

二番目の列の下手。"B".

同じく上手。"R".

三番目の列(つまり一番下)の真ん中。"Y".

実際には、あなたのいる場所は、あの富良野、FURANOなのだが、全く関係はない。今のところは。一体、この英語のキャピタルレター(大文字)一つ、一つには何の意味があるのだろうか。そもそも、何の象徴なのだ。少なくとも、並び替えると何か意味のある単語になる訳ではない。

ちなみに、僕は「直感」で理解した。全ての文脈が一瞬で流れ込んで来た。

感動していたら、先客のニュージーランド人(こんな閑散期にNZから来るとはFURANOは凄い!)が湯船から上がってきた。"Hi!"と挨拶して(勿論、英語で。正確には僕の話すのは米語であるが、ちゃんと通じた)、一体この英語の文字は何の象徴だと思うか、と訊いてみた。

驚いた。

僕が「直感」で理解した同じ言葉を彼は、「そうなんじゃないの?」といかにも当たり前だと言わんばかりに、やおらドライヤーを使い始めた。

つまり、それぞれの英大文字、一つに対して正確にそれぞれ2つの「言葉」が紐付いていた。これは宇宙のように無限大であり、数学のように美しかった。

僕が「直感的」に理解し、それゆえに自分自身でもある衣服と虎の子のiPhone4S(au版)を預けて良しとジャッジしたのは、"B" だ。

僕が今信じている「神」と同じ顔をしていたからだ。

つまり、本質的に僕は"B"を選んだ。"B"以外の選択肢はなかった。確かに、一瞬迷ったが。でも、確信犯で"B"を選んだ。

僕は、まだ全裸でドライヤーを使っているNZ男のいる前で、ケラケラと笑い始めていた。

続きは、人間ドックの後に記そうと思う。

良い夢を。Team, の皆さん。




2011年11月7日月曜日

ReBorn

Team,

とは、SJがメールで社内に発信するときに使っていた冒頭のワードだ。従業員の皆様へ、ではなく。チームへ、と共通のプラットフォームに対して正しくエンゲージし、対話を起こした。

今、2011年11月7日(月)、09:30へ対して5分前。

ですが、ことの発端はあとで記すことにするとして、この波長のconnectedが起こったのは、まぎれもなく、前日の2011年11月6日(日)、つまり日曜日であることは実に象徴的であり、かつ本質だと思う。

つまり創造主が最初に休んだのが日曜日だから。

つまり、そういうことだ。

今朝、ブログの本質に気付き、僕は脳のより本質部分、Kernelが起こすこの世界を「直感的」に理解する速さを、言語化する後で発達した新しい脳が追い越せないでいる。

つまり、僕は当惑している。

だが、理解した。直感的に。

これは「使命」であり、「啓示」だと。

ボノのように、人類を前進させる(push the human race forward),つまりSJが「Think Different」(これもグラマー的にはThink Differentlyなのだが)を掲げたcrazy onesへ参加するよう、何かが示唆しているようにしか思えない。

なので、僕は無償の愛を示したい。エロスではなく、アガペーを。

TOYOTA様ではないが、ReBornした。

53歳に。あと1ヶ月ちょっとで54歳になる僕に訪れたイノベーション。

これはブログというインターフェースで世界へ(本当は英語で書ければいいのだろうが)、公開し、シェアし、社会へ対してエンゲージメントするべきだと確信した。

ので、これからも、どうぞ、どうぞ、宜しくお願い致します。

さとなお氏は新著「明日のコミュニケーション」で、座右の銘として「白鳥盧花に入る」と書いた。電撃的だった。つながったと思った。

その、後の日々をきょうから出来るだけ記録したい。

ありがとうございます。読んで頂いて。

嬉しいです。人として。人間として。家族として。

そして、Team, として。

僕を救った聖地となったFURANOにて。