2011年11月23日水曜日

息子へ、娘へ。そして妻へ。


晩秋の京都は、それぞれに自らの信じる道を進もうとしている私たち「家族」にとって、ひときわ熟した紅のように、赤く美しかった。紅葉の真っ盛りである。とにかく驚くほどの人出であった。嵐山の渡月橋は、底が抜けるのではないかと思もう程、黒々とした人だかりの山を載せていた。

「危ないから、やめようよ」

妻がそう言ったほどだった。私たち四人は観光名所として余りにも有名な渡月橋を避けて、保津川沿いに豆腐料理で有名なとあるお店へと足を運んだ。この保津川沿いには、日本で一二を争いほどに美味い天然鰻を食わせる店もあるらしい。さすがは「結界都市」京都、奥が深い。いくらでも、深堀りできるのだ。

予約してあった席は、保津川の流れと紅葉を借景にした瀟洒なしつらえであった。こういう場所に、肉料理は相応しくない。あくまで淡白、つまりシンプルでありながら、無限の奥行きを感じさせる大豆の素晴らしさ。京野菜の数々。文句のつけようもない。僕と娘が隣り合わせとなり、向こう側に妻と息子がいた。

話は尽きることなく、汲めば汲むほどに味わい深く、私たちが「家族」という共通の分ちがたい記憶でつながっていることを感じた。しんしんと感じた。

息子は来春に東京で社会人としての第一歩を踏み出す。厳しい就活であったようだ。僕に似たのか、自分について多くは語らない。だが、一年前、あれほど苦しんでいた彼の痛々しいまでの悩んでいた表情は微塵もなく、穏やかによく笑った。つられて娘が笑い、妻がつっこみ、そして僕が最後につらなった。

社会人として既に一度転職も経験している娘がしきりに僕の様子を気にしていた。なにかいつもと違うと「本能」で感じたのかも知れない。どこまでも明るい性格の娘である。僕が3年前、心を病んで倒れた時も、ありのままを受け止めてくれた強い娘だ。娘の眼差しの気配を感じて、無性に嬉しかった。

「ああ、気にされているのだ。父親だから」

その瞬間、私たち四人は一本の樹木のようだった。ゆさゆさと小さいけれど、多くの葉を揺らして、温かい振動が深く、奥へと伝わっていった。親から子へ。夫から妻へ。また、子から親へ、そして妻から夫へと。つまり、人として響き合った。穏やかに。

日常性とは、レイモンド・カーヴァーが言うように、こうした”ささやかだけれども大切なこと”の積み重ねの上にしかない。It is a life at all.

だからこそ、日々は美しく、尊く、噛み締めて味わわなければ損だ。向田邦子は言った。「家族とは一番やっかいな他人」と。それは真実である。だが、向田邦子はこうも言いたかったはずだ。「だからこそ、愛おしい」のだと。

嵐山の禅寺として名高い天龍寺の紅葉はどんぴしゃりだった。あいにくの曇り空だったが、かえってディフューズされた日光が、柔らかい質量を持って、生きる者たちである全ての葉や木に降り注いでいた。

その、どちらかと言えば「暗部の階調の再現性」に似た深い味わいが、しばらくはこうした共通の時間を持てないであろう、私たち「家族」にとって、とてもお似合いのような気がしていた。

毎日はほろ苦く、そして甘い。





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